©Souheil Michael Khoury
エイフマン・バレエが日本にやってくる…!マニアックなバレエ・ファンの間では大きな話題になっている。マニアック、というのも、このカンパニーは滅多に来日しないからだ。2019年7月の公演は、前回の来日からなんと20年ぶりになるという。その間にも、エイフマン作品を日本で見るチャンスはあった。私が観たのは2010年に新国立バレエ団が上演した『アンナ・カレーニナ』と、2011年にマラーホフ率いるベルリン国立バレエが上演した『チャイコフスキー』で、どちらも衝撃作だった。有名なロシア文学をバレエ化した『アンナ・カレーニナ』も、作曲家の生涯を描いた『チャイコフスキー』も、息苦しくなってくるほどメランコリックな作品で、一度見ただけでは受け取りきれないほどの濃いエモーションが詰まっていた。見ていて辛い、苦しい…と言いながらも奇妙な中毒性がある。美しいが奇矯な振り付けは身体のねじれと歪曲をエロティックに表現し、それはすべて登場人物の心理を反映していた。シンプルモダンな装置と照明、音楽の個性的な使い方も特徴的で、何よりテーマの追究の仕方に遠慮がない。
エイフマンが描きたいのは、ただひとつ。「人間にとって愛は苦しい」という事実である。エイフマン的世界では、つねに「愛」は受難劇として描かれる。『チャイコフスキー』では、同性愛者としてのチャイコフスキーと、彼の周りに集まる「愛されない」女性たちが痛々しくも克明に描かれていたし、『アンナ・カレーニナ』では、理性を失うほどの情愛に溺れたヒロインが、薄いボディスーツ一枚で踊る衝撃の描写があった(全裸で踊っているように見える)。『アンナ~』では全編、チャイコフスキーの音楽が使われるが、主人公が追い詰められ苦悩の極致に押しやられた場面で、急に無機質な電子音楽が流れる。それは「私は今、壊れました」というサインで、音楽とともに踊りも世界観も一気に「発狂」する。愛の果ての狂気をこんなにもストレートに、大胆かつ恐れ知らずに描き出す振付家はエイフマン以外にいない。ケネス・マクミランも結構なエログロの世界(!)をバレエで顕したが、エイフマンはさらに破滅的だ。「スタイリッシュ」という切り札を全部捨ててまで、裸の人間の生々しい魂を表すのだ。
©Yulia Kudryashova
2019年の来日公演では、件の『アンナ・カレーニナ』と日本初上陸の『ロダン~魂を捧げた幻想』を上演する。この二作品の映像を観たが、『アンナ~』は細部がヴァージョン・アップされ、以前観たものより切っ先の鋭い作品になっていた。そして『ロダン』…これは本当に驚いた。映画にもなった、ロダンと年下の天才彫刻家カミーユ・クローデルの関係を描いた物語なのだが「ロダンはモデルとしてのカミーユの若さと美しさを吸い取り、抜け殻となったカミーユは精神病院で人生の後半を過ごすことになる」という筋書きで(史実をなぞったものだろうが、大変ドラマティック)、愛の残酷さや、創造におけるロダンの「吸血鬼」のような性格が執拗に描かれる。劇中で、さまざまなロダン作品が生身のダンサーによって(!)形作られるのだが、ロダンは粘土をこねるように、白塗りのダンサーたちをこねまわし、それが『カレーの市民』のようなモニュメンタルな群像の塑像になっていく。映像で観ただけでびっくりしてしまった。ロダン自身が生身の人間のボディの官能美や躍動感というものの虜になっていた彫刻家だったが、彫刻を生身の人間が擬態する…とは、ロダンにとってもびっくり仰天だろう。エイフマンもまた、人体の無限の表現力に夢中になった「狂気の芸術家」なのだ。
©Souheil Michael Khoury
『ロダン』ではドビュッシーやサン=サーンス、ラヴェルやマスネらフランスの作曲家の作品が効果的に使われるが、サン=サーンスの『交響曲第3番 オルガン付き』に合わせてロダンが創造を行うシーンなどは、鳥肌ものだ。クラシック・ファンにもぜひこのバレエは観てほしい。演劇ファンも必見だ。無垢な美を表すカミーユ・クローデル役のダンサーの瞳が徐々に狂気を帯びていく様も凄い。ロダンは哲学的でありつつ、屈強な精神をもつミケランジェロ的人物として描かれ、彼が粘土(ダンサー)と格闘するさまも観ていて大いに興奮する。このカンパニーのダンサー、男性は身長182cm以上、女性は172cm以上という入団条件があり、その徹底した身体美のこだわりが、バレエに強烈なインパクトをもたらしている。
1977年に創設されたエイフマン・バレエ、1946年生まれのボリス・エイフマンは70歳を過ぎていよいよ精力的な季節を迎え、現在本拠地であるサンクトペテルブルクでは、カンパニーのホームの劇場となる「ダンス・パレス」が建設中だという。世界的にも高い評価を集めるエイフマン・バレエの貴重な来日公演、マニアだけでは勿体ないレアなチャンスです。
【特集コラム】小田島久恵の“バレエって素敵”
一度はまったら抜けられないバレエの魔力について、夢やエロスを交えながら語っていく「小田島久恵の“バレエって素敵”」。ぜひあなたもその魔力に憑りつかれてみては?
筆者プロフィール
小田島久恵/音楽・舞踊ライター
10代でジョルジュ・ドンの魅力に痺れ、ベジャールとクラシック・バレエにはまっていく。大学では美術を専攻し、バレエとパフォーミングアーツについての卒論を書く。
ロック雑誌『ロッキング・オン』の編集部に就職した後も、国内外のバレエ公演に出没。
パリ・オペラ座バレエ、英国ロイヤル・バレエ、ハンブルク・バレエ団、アメリカン・バレエ・シアタ―、ボリショイ・バレエ、マリインスキー・バレエがお気に入り。
一度はまったら抜けられないバレエの魔力について、夢やエロスを交えながら語っていきます。