クラシック
【特集】ローマ歌劇場2018年日本公演『椿姫』『マノン・レスコー』を100倍楽しむ方法<2>

【特集】ローマ歌劇場2018年日本公演『椿姫』『マノン・レスコー』を100倍楽しむ方法

★目次★

その③ 空前の『マノン・レスコー』ブームが到来 こちら

その④ 美貌が憎い! こちら

文/小田島久恵


 

その③ ★空前の『マノン・レスコー』ブームが到来★

マノン・レスコー
©Silvia Lelli / TOR

オペラの『マノン』には二つの名作がある。フランスオペラの人気作であるマスネの『マノン』と、プッチーニの出世作『マノン・レスコー』で、どちらも原作はアベ・プレヴォーの『騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語』だ。脇役の名前や設定は少しずつ異なるが、主役のマノンとデ・グリューの恋の悲劇が描かれている点は同じ。今から10年前は、マスネの『マノン』の方が世界の劇場にかかる回数が多かったように思う。2010年にロシアのソプラノ歌手ヒブラ・ゲルズマーワに取材したとき「マノンといえばマスネよ。『マノン・レスコー』のほうは上演自体があまり多くないしね」と語っていたし、同じ2010年に引っ越し公演(※注1)を行った英国ロイヤル・オペラでも、ローラン・ペリ演出のマスネの『マノン』が上演され、アンナ・ネトレプコがゴージャスで魅力満点のヒロインを演じ観客を魅了した。

マノンといえばプッチーニよりマスネ…それが、短い間に見事に逆転したように見える。メトロポリタン・オペラではリチャード・エア演出の『マノン・レスコー』が話題になり、クリスティーネ・オポライス主演のライブ・ビューイングが日本でも上演された。件のネトレプコもローマ歌劇場で『マノン・レスコー』を歌い、このとき代役でデ・グリューを演じたユシフ・エイヴァゾフと私生活でもカップルになっている。ネトレプコはヨナス・カウフマンと共演する予定だったバイエルン歌劇場の『マノン・レスコー』にもキャスティングされていたが、斬新な(?)演出が理由で降板し、オポライスが代役で演じた。オポライスやソニア・ヨンチェヴァなど声楽的にも演劇的にもハイレベルなマノン・レスコー役を「歌える」歌手が出てきたことも、上演ブームの要因かも知れない。

マノン・レスコー
©Silvia Lelli / TOR

そのキーパーソンの一人、クリスティーネ・オポライスは、ローマ歌劇場の来日公演でマノン・レスコーを演じる。声楽的にも演劇的にもプッチーニ・オペラのために生まれてきたような歌手で、『ラ・ボエーム』でミミを演じたオポライスを見たとき、彼女の尋常でない「気配」に驚いた。登場の瞬間からまっすぐに死に向かう覚悟を全身から漂わせ、どんな賑やかな場面でも物語の悲劇性を忘れさせることはなかった。メトロポリタン・オペラでは『マノン・レスコー』『蝶々夫人』を成功させ、まさに「迫真の」プッチーニ・ヒロインを演じるスターとしてファンを増やし続けている。

プッチーニの『マノン・レスコー』では、若く美しいマノンの栄華は、マスネほど豪華絢爛には描かれない(少なくとも視覚的には…マノンの美しさはむしろオーケストラのフレーズによって、執拗なまでに暗示される)。物語の半分は追放されたマノンとデ・グリューが流刑地で苦しむ場面にあてられ、主人公が灼熱の太陽の下で息絶える過酷なラスト・シーンには言葉を失ってしまう。それでもプッチーニの音楽は、いつなんどきでも美しくあることをやめないのだ。

マスネの『マノン』が完成したのは1884年。プッチーニの『マノン・レスコー』は1893年。もちろんプッチーニは先輩マスネの傑作を知っていただろう。同じ物語から生まれた個性の違うヒロインは、二人の作曲家の女性観を顕しているようで興味深い。共通しているのは、マノンの性格は最後までどこか「天然」で、魂は無垢なままなのである。

※注1:世界の有名オペラハウスで上演されたオペラを、そっくりそのまま舞台ごと日本に持ってきて行う公演を指す。本ローマ歌劇場の公演も引っ越し公演となる。

公演詳細ページはこちら

 

その④ ★美貌が憎い!★

マノン・レスコー
©Silvia Lelli / TOR

オペラに登場するヒロインはほとんど絶世の美女と決まっているが、中でもプッチーニ(エキゾティックな美人好き)の創造物であるマノン・レスコーは別格。彼女はティーンエイジャーで、ガラスの宝石ケースに入ったキラキラのイエロー・ダイヤのような美少女で、修道院へ向かう道中での地味なファッションでも、通行人の男たちが「あのかわいい子は誰なんだ!」と大騒ぎせずにはいられないほどまぶしいのだ。ひとめぼれした騎士デ・グリューがマノンの名前をオウム返しにつぶやき「マノン・レスコー…それが私の名前です…!」と歌う「見たこともない美女」は、オペラ冒頭の有名なアリアだが、こののぼせっぷりからも、マノンの魔性のほどがうかがえる。そのへんにゴロゴロしていない、女優かアイドルのような特別な美貌の持ち主という設定なのだ。

美しいマノンは聖女か悪女か?お金持ちジェロントの囲い者になって贅沢三昧する様子を見ていると、悪女以外の何物でもないのだが、若いデ・グリユーが「君はおれのものだ!」と迎えにくると、驚くほどあっさり贅沢を捨てて彼のもとに走ってしまう。「マノンはやっぱり恋のために生きます」と、嘘の生活をやめてしまうのだ(それでも逃亡ギリギリまで宝石をがめつく持ち出そうとするあたりは、どうしようもなく愚かで貪欲なのだが…)。

では、マノンは野心家かどうか?と言われると、そうでもないような気がする。ヴェルディの『ドン・カルロ』で、権力者フィリッポ二世と密かに通じ合うエボリ公女は野心家の女である。「この美貌が憎いっ、憎い~っ」とエボリはラスト近くで懺悔のアリアを歌うが、要は大人の女のしたたかなタイプで、マノンはそのあたり「何も考えてな~い」のだ。英国文学には、あまりに男から愛されるので苦しくてじゃがいも畑で顔を泥だらけにして泣き叫ぶ『テス』のような美少女ヒロインもいるが、マノンはそこまで純粋でもない。ただ、世間知らずでいたずら好きで、自分のこの豪華なルックスで男たちや大金がどうにでもなると知ってしまった。だから、この「世界」というカジノでギャンブルに身を投じてみただけなのだ。宝石のような美女の正体は、やんちゃで無鉄砲な少年そのものであった。

マノンが最後に受ける罰はあまりに重い。故郷アミアンからパリに逃避行し、パリからル・アーヴルへ、そして最後は当時の流刑地だったニューオーリンズまで流されてしまう。デ・グリューも金欠で世を渡る力がなく、二人は砂漠をさまよって、灼熱の太陽の下、マノンはしおれた花のごとく息絶えてしまうのだ。「もし恋を選ばずに金持ちに囲われたままでいたら」「パリにいかずに修道院に入っていたら」などなど、どこで間違ってしまったかくどくど考えたくなってしまうが、そもそも「見たこともない」すごい美女に生まれてきたのが悪かった。男を狂わせなければ、地味でもそこそこいい人生が送れるのに、オペラには概してそういう主役は現れないのだった。

公演詳細ページはこちら


前の記事<その①&②>を読む 次の記事<その⑤>を読む

筆者プロフィール

小田島久恵

小田島久恵

音楽・舞踊ライター。
クラシック、オペラ、バレエ、演劇をメインに指揮者、演奏家、ダンサー、振付家、オペラ演出家にインタビューを行っている。ほぼ毎日、東京で行われるオーケストラ公演とリサイタルに出没しています。
著作に『オペラティック! 女子的オペラ鑑賞のススメ』(フィルムアート社)

関連商品

映像作品

音源作品

マスネの『マノン』もチェックしたい

ローマ歌劇場を「お気に入り登録」して最新情報を手に入れよう!

☆お気に入り登録