世界恐慌を生きたある家族の年代記(クロニクル)が、現代の私たちにじりじりと語りかける。
2023年9月、メインシーズン「貌」の幕開けは、アーサー・ミラー作、長塚圭史演出『アメリカの時計』です。
世界的な劇作家として知られ、日本でも『セールスマンの死』をはじめ、『るつぼ』『橋からの眺め』『みんな我が子』等、多くの作品が上演されているアーサー・ミラーは、一貫して社会のモラルと人間の心理の問題に関心を寄せ、作品を発表してきました。代表作である『セールスマンの死』は、〈アメリカの夢〉の底流にある、個人の満たされぬ思いと社会の軋轢ときしみに目を向け、自己欺瞞と破滅を描いた傑作です。常に社会を俯瞰した視点で見つめる彼の晩年に発表されたのがこの作品です。KAAT神奈川芸術劇場でも、2018年に長塚の演出で上演し、熱望する多くの声により、2年後の2021年に再演を果たしました。
今回、長塚が2度目のアーサー・ミラー作品として手掛けるのは、彼の作品の中でも非常に上演機会の少ない戯曲『アメリカの時計』です。本作は、ミラーが1980年、65歳の時に発表された作品で、同年、サウス・カロライナ州チャールストンのスポレット・フェスティバルで初演後、ブロードウェイでも上演されました。1929年の世界恐慌を扱ったアメリカ史劇で、株の大暴落により富の頂点にあった“アメリカの貌(かたち)”が脆くも崩れ去っていく姿が描かれています。
2023年現在、パンデミックが収束に向かう中、アメリカでは、相次いで銀行経営が破綻し、莫大な資金が流出しています。『アメリカの時計』が描くのは、100年近く前のアメリカとアメリカの家族の物語ですが、現代を生きる私たちがどこに向かうのか、という問題に鋭い示唆を与えてくれます。
「資本主義の弱体、崩壊」「失われる民主主義」など、多くの賢者・識者が語る中、改めて、人間の本質と社会のシステムに迫る戯曲がここにあります。
スタッフは、昨年小田島雄志翻訳戯曲賞を受賞した翻訳の髙田曜子、美術・映像はNHK連続テレビ小説「らんまん」の冒頭の映像も手掛ける上田大樹など、力あるスタッフが揃い、長塚演出を支えます。
また、50数名に及ぶ登場人物を、たった13人の役者で上演するのも、見どころのひとつです。多くの舞台作品で活躍する矢崎広、シルビア・グラブ、中村まことを筆頭に、魅力と情熱にあふれた俳優陣が集結します。
【あらすじ】
1920年代のアメリカは史上空前の繁栄をとげ、アメリカ人の誰もが、株さえ持っていれば金持ちになれると信じて疑わなかった。しかしこの状況に疑いを持った、アーサー・ロバートソンは、いち早く株から手を引き、親しい者に警告して回るのだが誰も聞く耳を持たない…。
そして1929年、株式市場を襲った大暴落は、裕福なボーム家にも大打撃を与えた。父親モウ・ボームは剛直な実業家であったが、株に打ち込みすぎて、市場の崩壊とともに財産を失う。母親のローズは、家族が生きるために、宝石類を現金に換える日々。息子のリーは、人々が職にあぶれて飢えていく様を目の当たりにしながら、自身の人生を歩んでいく。