日本が世界に誇る名チェリスト、宮田大。2019年の『エルガー:チェロ協奏曲』(COCQ-85473)を皮切りに、日本コロムビアより毎年1枚のペースで個性豊かな名盤を送り出している名手が、今年もまた鮮烈なアルバムをリリースする。10月25日発売の『VOCE - フェイヴァリット・メロディー -』(COCQ-85615)だ。本盤にはピアソラからビル・ウィーラン、久石譲、坂本龍一の作品まで、じつに多種多様な名曲たちが並んでいる。このカラフルな1枚はどのようにできあがったのか。12月に行われる発売記念ツアーの話題も含め、じっくりと話を聞いた。
――今回のアルバムは色とりどりの小品たちが並んだ素敵な1枚になりましたね
今回のアルバム制作は、チェロの名曲集を出しましょう、というところから始まりました。今の自分、今の世代だからこそできる名曲集を作りたいと思ったのです。チェロの音色は「人間の声に似ている」とよく言われますから、チェロで「奏でる」のではなく「歌う」ような作品を中心に選びました。それから、海外で演奏会を開くと尾高尚忠さんの《夜曲》や黛敏郎さんの《BUNRAKU》といった日本の作品に興味を持ってくださる方がたくさんいらっしゃいます。そういった経験もあって、日本の作品をこれからも弾き続けていかなくてはならないと感じました。そこで、今回のアルバムにも私の大好きな邦人作曲家の皆さんが書かれた「お気に入りの作品」を選ばせていただいたのです。
今回のCDの裏テーマは「都会的なイメージ」。例えばピアソラの《リベルタンゴ》もヨーヨー・マのものとはまたちょっと違った、スタイリッシュなイメージの編曲を伊賀拓郎さんにお願いしました。
2023年10月25日(水)リリース/\3,300(税込)
※アルバムの詳細は下記「関連リンク」よりご確認ください
――宮田さんは2021年にオール・ピアソラ・アルバム(COCQ-85532)も録音されていますが《リベルタンゴ》は収録されていませんでした。今回は満を持しての録音ということになりますね
この編曲が本当に素晴らしくて。パッションに満ち溢れながらも抒情的で、喜怒哀楽が込められた「伊賀拓郎節」が出てくるのです。編曲いただいたのは大分前のことでして、ジュリアン(・ジェルネ)とのツアーなどでも演奏していたのですが、この曲をアンコールに弾くと、お客さんは前後半で聴いた他の作品のことを忘れてしまう(笑)。それくらい強く印象に残る編曲なんです。ジュリアンのテクニックも必要ですし、二人の「阿吽の呼吸」がないと演奏できません。
――1曲目の村松崇継《Earth》も昨年のリサイタルで演奏されていた曲ですね。歌い出しからなんとも美しく、そこにピアノが加わって一気に世界が広がっていく、アルバムの冒頭を飾るに相応しい作品だと感じました
村松さんは「映像を音化する」方なので、彼の音楽を聴くと映像が目に浮かびますね。
《Earth》は村松さんとも数回共演させていただきましたが、ジュリアンと演奏することでまた違った世界が見えてきました。ジュリアンはフランス語圏(ベルギー出身)の人なので、ドビュッシーの音楽のような情景や香りを感じられる音楽が好きなのだと思います。その意味でも《Earth》は彼のピアノにぴったりの作品ですね。
――続くロルフ・ラヴランド《ソング・フロム・ア・シークレット・ガーデン》は穏やかな哀愁が滲む美しい作品です
《シークレット・ガーデン》は昔から大好きな作品だったのですが、すっかり忘れていて。カッチーニの《アヴェ・マリア》などともまたちょっと違った「哀しみ」を秘めた、歌うような作品の代表曲ができたらなと思い録音しました。これも伊賀拓郎さんの編曲なのですが、ちょっとアダルトな、紫色の気配を感じるようなライティングが魅力的です。
――次のビル・ウィーラン《リバーダンス》(山中惇史編曲)はアイリッシュ・ダンスならではのカッコよさがありますね
《リバーダンス》は以前別の編曲で弾いたこともあったのですが、今回はアルバム全体のコンセプトも踏まえて、ビル・ウィーランの曲だけれども、山中惇史の音楽でもあるように、「編曲」ではなくひとつの「作品」としてしっかりと作ってもらいました。これはピアノ・パートもかなり難しいんです。作曲家でありピアニストでもある山中さんらしい編曲になっていると思います。
――本盤には久石譲《Asian Dream Song》(1997年)も収められています。同時期に書かれた『もののけ姫』(1997年)の音楽や『となりのトトロ』(1988年)の〈風の通り道〉も髣髴とさせる「久石ボキャブラリー」を堪能できる作品です
久石譲さんとは『音楽の友』の記事で対談したり、あるいはご一緒させていただいたコンサートで映画『おくりびと』の音楽を演奏したこともあるのですが、その時に本当に「憧れの人に会えた」という非常にワクワクした気持ちになりました。私もジブリ作品とともに成長してきたので、やはり久石さんの作品は絶対に入れたい。でも好きな曲がありすぎる。悩んだ末に、1998年長野パラリンピックのために書かれた合唱曲《旅立ちの時~Asian Dream Song~》にたどり着いたのです。やはり「歌」の作品を選びたいなと。編曲は篠田大介さんにお願いしたのですが、色々と相談して、久石さんのミニマル・ミュージックのようなリズムの部分なども入れていただきました。そしてジュリアンとも打ち合わせて、リズムの部分はスタイリッシュに弾くなどの工夫も試みています。
――続いてはフランスの作曲家サン=サーンスの歌劇《サムソンとデリラ》から〈あなたの声に私の心は開く〉。歌劇中屈指の名曲を見事に歌い上げていますね
サン=サーンスのチェロ作品といえば〈白鳥〉ということになると思いますが、彼には他にも名曲があって。フランス語を母語として話すジュリアンに、言葉のニュアンスやアーティキュレーションについて教えてもらいながら「チェロの音を聴くだけで言葉が聞こえてくるように」というイメージで演奏しました。今回は終盤でサムソンとデリラ――ジュリアンと私が対等にデュエットするように編曲しています。
――宮田さんの自然でしなやかな歌心は、次の加羽沢美濃《Desert Rose》でも冴えわたっています
これは以前、加羽沢さんと共演したことがある作品です。彼女が「チェロに合うと思います」と言って選んでくださって。私はこの曲をよく電車の中で聴くんです。一人でふっと目を瞑って聴いていると陶酔できる――そうしたときに《Desert Rose》が好きだな、と思ったので今回収録しました。
――続く菅野祐悟《ACT》は、穏やかなピアノの和音に誘われるようにして歌が紡がれていく、宮田さんの美音を存分に味わえる作品ですね
菅野さんは私のためにチェロ協奏曲《十六夜》を作曲してくださったこともある、私自身も非常に近しく感じている作曲家です。この曲はトロンボーンとピアノのために書かれた作品ですが、菅野さんご自身が編曲してくださいました。人間の苦悩の中を行くような、人間が内に秘めたものをキュッと取り出してみているような作品だと感じます。じつは、菅野さんは映画『DAUGHTER(ドーター)』(2023年12月15日[金]ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開)で映画監督デビューをされたのですが、劇中でこの《ACT》が流れるんです。映画向けのテイクを収録した翌日に、CDのためのテイクを録音して。何度も調理する中で私もこの曲が大好きになりました。
――次の吉松隆《ベルベット・ワルツ》は、ぬくもりのなかに仄かな哀しさが滲む作品です
今回、吉松さんに「《ベルベット・ワルツ》をチェロとピアノで演奏するのはどうでしょう」と尋ねてみたところ、是非やってほしいということになり、吉松さんご自身が編曲してくださいました。この曲を聴くといつも感じるのですが、どこか懐かしい香りがしてくるんです。聴く人を、時代を超えていろんな世界に連れていってくれる作品だなと思います。
――今回、個人的に嬉しいのは植松伸夫《ザナルカンドにて》が収録されていること。ロールプレイングゲーム『ファイナルファンタジーX』(2001年)のために書かれた曲ですが、今回のお二人の演奏は、冒頭から思わず深呼吸したくなるような味わい深い響きで、中盤の慟哭も鳥肌ものでした
これは本当に良い曲ですし、植松さんのお人柄が曲に滲み出ていますね。とても楽しんで作曲されている感じがしてきます。篠田さんの編曲の起承転結も素晴らしく、私が色々とリクエストしたことを彼なりにしっかりと調理してくださいました。《ザナルカンドにて》については「泣きどころを作ってください」とお伝えしていたところ、チェロがむせび泣くような高音域のパートを書いてくださったり。
――本盤には今年3月に惜しまれながら世を去った坂本龍一さんが、映画『星になった少年』(2005年)のために書いた作品も収められています。スル・ポンティチェロをはじめとする多彩な音色を駆使した篠田さんの編曲がここでも光っていますね
篠田さんに「ジャングルのような音がするところから、最終的にはジャジーな雰囲気にしていっていただけますか」とお願いしたところ、しっかりそうしてくださって。冒頭付近の楽器を手で叩いている部分は、楽譜では指示されていないのですが、録音してみたら「これはいいね」とジュリアンと話になり入れるかたちにしました。
――今回の録音は、今年の4月18日(火)~20日(木)に行われたとのことですから、坂本さんが亡くなられてからほとんど間を置かずに演奏・録音されたことになりますね
『星になった少年』は大好きな映画で、昨年のうちから収録することに決めていたのですが、録音は本当に直後にということになりました。演奏会で弾くと感情移入して、ちょっと涙が出てくるような曲になるのかなと思いますが、チェロならではの低音の魅力もありますし、坂本節もすごく感じられます。チェロとピアノで弾くとこうなるんだ、と楽しんでお聴きいただけるのではないかと思います。
――最後はボヘミアの大作曲家ドヴォルザークの歌曲〈私にかまわないで〉Op.82-1で締めくくられます
ドヴォルザークのチェロ作品といえば《チェロ協奏曲》ということになるわけですが、協奏曲にはこの歌曲の旋律が引用されています。ドヴォルザークの奥さんのお姉さん、ヨゼフィーナ・チェルマーコヴァーがお好きだった曲ですね。こうした美しいメロディーが遺っているということで、これはチェリストとしてはやはり入れたいと思ったのです。ドヴォルザークへの感謝の気持ちを込めて最後にこの曲を演奏して、そこから再び「地球の誕生」――冒頭の《Earth》にループで繋がるように選曲しました。
――12月にはアルバムのリリースを記念したリサイタル・ツアーが予定されています。CDに収められた邦人作曲家の7曲とピアソラの《リベルタンゴ》、そしてサン=サーンスの《チェロ・ソナタ第1番》Op.32を演奏されますね
サン=サーンスの《チェロ・ソナタ第1番》は以前にもジュリアンと弾いたことがあるのですが、隠れた名曲なので改めて取り上げることにしました。演奏会の前半を《リベルタンゴ》で締めくくった後、クラシックの世界にぐっと入っていくという趣向です。この作品では、サン=サーンスのリズミカルなところと歌心とが「良いとこ取り」されています。かっちりしているところもあればロマンティックなところもある、不思議な曲ですよね。
――今回もジュリアン・ジェルネさんとの共演ですね
ジュリアンは、もう十数年も一緒に演奏している大切な盟友です。彼の語りかけてくるようなピアノと私の歌うようなチェロが、お互いに演奏で対話しているように聞こえたら嬉しいですね。もちろん私は、本番では彼に背を向けて演奏するわけですが、お互い他愛もない話をしながらコンサートが続いていく――そういった感じになるといいなと思っています。ジュリアンと私が心掛けている「一期一会の演奏」を聴きに来ていただけたら嬉しいです。
取材・文/本田裕暉
「宮田大 チェロ・リサイタル 2023 with ジュリアン・ジェルネ」公演情報│ローチケ[ローソンチケット]