日本人として初めてロストロポーヴィチ国際コンクールで優勝し、世界的活躍を続けるチェロ奏者・宮田大。彼の最新アルバム「Piazzolla」は、生誕100周年を迎えた作曲家ピアソラをフューチャーし、ピアソラの音楽を、チェロを通した新たな視点で演奏された一枚となっている。2月にはピアソラへのオマージュを捧げるリサイタルも開催する宮田に、話を聞いた。
――先日、最新アルバム「Piazzolla」をリリースされましたが、こちらの制作経緯についてお聞かせください。
今回のアルバムのジャケットは、光が差しているようなイメージなんです。今、大変な世の中ですが少しでも光が差し込んだらという気持ちと、ピアソラの生誕100年ということで、自分の中のピアソラとチェロを表現したいという気持ちが込められています。僕の中で、ピアソラとチェロがイコールになっているものだと、ヨーヨーマの「ソウル・オブ・タンゴ」というCD。この後に「リベルタンゴ」が出て、一気に有名になるんですが、その頃によく聴いていたんです。それとはまた違ったものを作りたかったので、編成と曲目にこだわりました。皆さんがお聴きになったことのない曲や編成でお届けしたいと思いました。
――具体的にはどのようなこだわりになりましたか?
編成としては、私とウェールズ弦楽四重奏団、そして山中惇史さんのピアノと、三浦一馬さんのバンドネオン。ピアソラはよく5人で演奏されるんですけど、その際もベースなどが入ったりして普通の弦楽五重奏ではない場合が多いんですね。そこを、ある意味削ぎ落された形の弦楽四重奏と、チェロだけでやっているんです。そこに、ピアノが入ってきたり、バンドネオンが入ってきたりします。なので、ピアソラらしさもお伝えしつつ、弦楽奏者だからこそ伝えられる魅力もお届けしたいと思っています。
――チェロならではの新しいアプローチで解釈されたピアソラということなんですね。楽曲としても挑戦的なものを選んだとお聞きしましたが、いかがでしょうか。
やっぱり、チェロでこの曲を独奏やるの?と思われるものをあえて選んだり、チェロでやるならやっぱりこの曲だよね、というものも選んだり……最終的には、私が大好きな曲も選んだり。昔はピアソラってクラシック音楽だと思われていなくて、タンゴからのイージーリスニングのように思われがちでした。ここ何年かで、ピアソラはクラシック音楽の作曲家だし、演奏者として十八番として持っていなければならない作品として認識されています。そういう部分で、チェリストとしてピアソラをいろんな角度から見て、チェリストだからこそ伝えられる音楽を選んだつもりです。
――ピアソラの魅力をどのようなところに感じていらっしゃいますか?
アルバムジャケットのライティングのように、光がスッと入ってくるような印象なんですが、光の感じが、暗いのか、薄暗いのか、明るいのか、はっきりしない感じなんです。例えば、嬉しいという言葉にも、プレゼントをもらったときの嬉しさと、つらい時に誰かから声をかけてもらった時の嬉しさって、嬉しさのジャンルが違うじゃないですか。ひとつの言葉だけど、微妙なニュアンスの違いのある感情が、ピアソラの作品には入っていると思うんです。どういうふうに悲しかったのか、どんなふうに思ったのかというのが、曲の中にいっぱい入っている。だから、きっとお客さんもピアソラを聴くとすごく疲れると思うんですよ。真剣に聴くと、いろいろな感情が動くから。そういうところにピアソラの魅力があると思いますね。僕の中では、物語を感じて演奏しているので、最初から最後まで聴いていただいて、また最初に戻ったときのイメージの変化も感じていただけると嬉しいです。1年を過ごした後に、また新しい1年の見え方が変わってくるような、そんな感覚を作品として感じてほしいと思っています。
――表面的ではない深層の感情に触れるような深さと、めぐる季節のようなストーリーがピアソラの楽曲にはあるんですね。小さいころから家でピアソラが流れていたそうですが、子どもの時の印象は覚えていますか?
その当時は、この大人な世界は理解できていなかったですね(笑)。でもピアソラは、その時、その時で聴いていた時のイメージが全然違っているんです。自分が聴いた年代によって、印象が変わるんですね。自分がどう感じたのか、どういう演奏家なのかというのを映し出してくれるのがピアソラの作品。今、僕は35歳ですが、35歳でしかできないピアソラの演奏があるし、20歳の時には20歳の時にしかできなかったピアソラの演奏がある。その時の自分が映し出されていると思います。今は……死が見え始めてる感覚ですね。以前は死なんて、まったく意識していなかった。35歳ではちょっと早いかもしれないんですけど、ある意味で折り返し地点に来ているような感覚もあるんです。希望だけじゃなく、苦労や人生の大変なことがたくさんあること、それを乗り越えてきたこともありました。地に足がドシンとついているような感覚もあるし、フワッと天国に浮かんでいくような感覚もある。矛盾しているんですけど、今はそういうフレッシュだけじゃない感覚がピアソラに対してありますね。
――死のイメージがあるからこそ、生の喜びや大切さをより感じられるようになったのかもしれないですね。
そうですね。若いころは、タンゴだから赤!みたいな華やかなイメージがありましたけど、今はそこに黒さというか、固まった血のような色のイメージになっていますね。あの当時とは違った、大人なイメージに変わったと思います。
――今回、改めて演奏したことで発見できたことはありますか?
ピアソラはメロディがシンプルで、誰もが聴けばこれはピアソラだな、とわかるような個性があるんです。そこがピアソラのすごいところ。チェロは人の声に近いとよく言われるんですが、メロディの登場人物が女性だったり、男性だったり、恰幅の良い人が歌っているような太い声だったり、細い人が歌っているような声だったり……登場人物がどんどん変わっていくような感覚があるんですよ。それはチェロの魅力ですね。ヴァイオリンのような高音だけではなく、いろいろな音域がでる楽器ならではの感じ方だと思いました。今回、ピアノの山中惇史さんが編曲での影の立役者で、ピアソラ&山中惇史と言ってもいいくらいの作品なんです。山中さんはピアニストですが、ヴァイオリンも弾けるので、弦楽器の魅力や伝え方もすごく上手。だからこそ、チェロが歌ったり、ヴァイオリンと絡んだりという部分で、今回のオリジナルの編成での演奏としてすごく活きているんです。
――レコーディングの時の思い出はありますか?
ピアソラはもう、パワーを使うので、全身疲れまくりでレコーディングしました(笑)。でも、出ていくパワーだけではなく、得られるパワーもたくさんあったので、疲れているんだけど、気持ちは昂っていて眠れない、みたいな感覚が何日か続いていましたね。世田谷のスタジオでは全員そろって収録したんですが、新潟の小出郷文化会館では、山中さんと2人きりで「タンガータ」と「天使の組曲」を録音しました。ホールならではの響きで、ピアノとチェロならではのサウンドを録れたと思っています。
――そして2月にはピアソラへのオマージュと題したチェロ・リサイタルも開催されます。こちらはどのようなステージになりそうでしょうか。
今回は結構、即興性があるので、レコーディングの時にもいろいろなバージョンがあったんです。その中の1つを収録した形なので、アイデアややりたいことはたくさんあるんです。CDとは違う、即興性を感じていただきたいですし、何か音楽で対話できるようなリサイタルになればと思っています。
――続いて、演奏家としての歩みについてもお聞きしたいと思います。宮田さんがチェロの面白さに気付いた瞬間はいつでしたか?
こういうインタビューの機会をいただくと、自分の言葉でいろいろしゃべっていますが、言葉で説明するのが難しいと感じることがあるんです。と言うのも、チェロで演奏していると、思っていることの全部を相手に伝えられているような気持ちになるんですね。自分のことを惜しげもなくさらけ出せるのがチェロ。それに気付けたときが、その瞬間ですかね。学生の頃は、音楽を楽しむというよりは、勉強しなきゃ、という想いが強かったんです。それが、2009年にロストロポーヴィチ国際チェロコンクールで優勝させていただいた後から、コンサートをさせていただくようになって…発表会から演奏会に変わった。練習した成果を発表するのではなく、演奏会の中で自分の言葉でしゃべれている。そう変わっていったのかな、と思います。
――小さいころから続けていらっしゃると、スランプやつらい時期もあったのでは、と思いますが、そんな時に支えになったものはありますか?
小さい頃はいろいろ習い事をしていて、出合いがあってチェロをはじめましたけど、自分としてはひとつ特技があるという感覚でした。中学生の時なんて、一番忙しかったと思うんですよ。学校の勉強も、部活もある。その中でチェロも練習しなきゃいけない。眠たいしね(笑)。それでも、毎日歯を磨くように、例え10分でも5分でもチェロを触っていた。それが今も、自分に残る表現のひとつとして蓄積されている。具体的にこれが支え、というものはうまく言えないですが、自己表現のひとつという想いがその頃からあったんだと思います。
――今後、チェリストとしてどのようなビジョンを描いていらっしゃいますか。
今できる音楽を120%くらいのつもりでお届けしたいと思っているので、あんまり40歳になったら、50歳になったら、みたいなことはあまり想像したことがないんです。今でしかできない音楽を一期一会でお客さんにお届けしていきたい。なので、今を一生懸命にやるだけですね。ひとつ前のアルバムは「Travelogue」という、ギターの大萩康司さんと一緒に録音したもので、チェロと合わせるには異色の楽器というものはまたやってみたいですね。2021年12月には、人形劇と一緒にやるんです。平常さんという方で、彼とは2~3回共演しているんですが、今回は再演で「Hamlet ハムレット」を取り上げます。違ったジャンルの方と一緒にやることで、また違う世界が見えてくるので、そういうことを心がけてやっていきたいですね。
――異色の共演によって、見えてきたものにはどのようなものがありましたか?
人形劇とのコラボや、先日、人形浄瑠璃の人間国宝の方とご一緒させていただく機会もあったんです。音楽で”休符”って休むと書かれていますが、人形って止まった瞬間に”人形”になってしまうんです。一緒に共演していて、休んでいる瞬間が無いんですね。それって音楽も同じで、休符だけど、気持ちが繋がっている休符なんだな、と感じました。休んじゃいけない。そう演奏することで、お客さんの集中力も切れずに行けるような感覚になりました。そこはひとつ、大きな得るものでしたね。
――最後に、「宮田大 チェロ・リサイタル2022~ピアソラへのオマージュ~」を楽しみにしている方に、メッセージをお願いいたします!
今回、特別に東京オペラシティ コンサートホールと、大阪ザ・シンフォニーホールという素晴らしいホールで演奏できます。だんだんこういうホールに足を運べるようになってきましたが、まだ生の音楽を聴けていないという方も少なくないと思います。CDをたくさん聴いていただいた方にも、生の演奏をお届けしたいですし、生の音のカンバセーションを楽しんでいただけたら。普通のコンサートとはちょっと違う、ピアソラならではの独特の世界を、音楽を楽しんでいただきたいと思います!
インタビュー・文/宮崎新之