コンサート

【インタビュー】加藤登紀子が語る、“時代を超えて歌い継がれる名曲”と平和への祈り 加藤登紀子コンサート2026 ~明日への讃歌 ジーナの生きた100年~ 取材レポート到着!

加藤登紀子

【インタビュー】加藤登紀子

長きにわたり日本の音楽シーンを牽引し続ける加藤登紀子。現在開催中の「加藤登紀子コンサート2026~明日への讃歌 ジーナの生きた100年~」の開催にあわせ、コンサートに込めた思いや楽曲にまつわるエピソードを語った取材レポートが到着した。

加藤登紀子

昨年デビュー60周年を迎えてなお、尽きせぬ意欲と行動力で力強く活動中。現在開催中の加藤登紀子コンサート2026~明日への讃歌 ジーナの生きた100年~は二部構成で、。「出会い物語」をテーマにした第一部では「百万本のバラ」「知床旅情」「難破船」など自作曲、ヒット曲、提供曲を中心に。「ジーナの生きた100年」がテーマの第二部では、映画『紅の豚』の世界観をベースに、「さくらんぼの実る頃」「リリー・マルレーン」「Imagine」など、平和への祈りを込めた楽曲を歌う予定だ。100年という壮大な時間の中で、歌はどのように生まれ、育ち、愛されて来たのか。『紅の豚』でジーナを演じた加藤登紀子にしか歌えない、特別なコンサートをぜひ生で体感してほしい。

――昨年、デビュー60周年を迎えられて、今年は61年目に入りました


やっぱり周年事業の時は、「加藤登紀子という人」に義理立てしなきゃいけないので(笑)。昨年は「もう一人の私」みたいな感覚があったんですが、今年は普段の自分に戻れた気がします。ただ、昨年は新曲も作りましたし、「過去の歌ばかりじゃないですよ」という新しい一歩は、もう始まっている気がしています。

――今年のコンサートには「明日への讃歌」、そして「ジーナの生きた100年」というタイトルが付けられていますね


コンサートの第一部は、私にとって大切な出会いの物語を歌います。最新刊『「ま・さ・か」の学校』(時事通信出版局)の中では、「知床旅情」について最近になってわかったことや、河島英五さんの亡くなる間際のこと、尾崎豊さんのエピソードや、いろんなことを書いていて、コンサートでは河島英五さんに書いていただいた「生きてりゃいいさ」、尾崎豊さんの「I LOVE YOU」、中森明菜さんに歌っていただいた「難破船」も歌います。歌を作りながら生き抜いた、そういう人の生き方が大好きなので、人と歌との出会いの物語をみなさんにお伝えしますたかったんですね。そして第二部はのテーマが「ジーナの生きた100年」。映画『紅の豚』の背景舞台は1929年頃のイタリアで、第1次世界大戦があまりにも悲惨だったので、「もう戦争はやめよう」ということで、1928年にパリ不戦条約が締結された。約100年経って、その志は今も生きているはずでしょう?という意味で、「さくらんぼの実る頃」「悲しき天使」「リリー・マルレーン」など、国や時代を超えて歌い継がれてきた、大切な歌を歌おうと思っています。ジーナがあの時代を生き抜いて、ホテル・アドリアーノにいたとしたら、この歌たちを歌っていたと思いますよ。

――そんなふうに想像をふくらませると、心豊かな気持ちになります


「悲しき天使」は、ポール・マッカートニーがプロデュースして、メリー・ホプキンが歌ったものが有名ですけど、原曲は1924年に作られた「ロシア・ロマンス」と言われるジャンルのものです。ロシア革命が起こった後、一斉に花開いたポップスの中の1曲で、大ヒットしたんですが、スターリンの時代になって禁じられてしまう。でもこの歌は、亡命ロシア人の間で歌い継がれていた。1929年頃のイタリアにも、亡命ロシア人がいたないはずよはないんですね。ホテル・アドリアーノにもきっといたでしょう。だから、ジーナが歌うのにふさわしいレパートリーなんです。

――そうかもしれないですね


ピート・シーガーの「花はどこへ行った」は、ピート・シーガーの反戦歌として知られていますが、元はロシアの文豪・ショーロホフの『静かなドン』の中に「コサックの子守唄」として出て来る曲で、それを読んだ彼がこの曲を作った。その頃ピート・シーガーは、レッド・パージに遭って、アメリカで活動できなくて、世界中を放浪しながら、「アメリカの故郷は世界だ」と言っていた。「アメリカは世界中の文化をもらってきた。だから元の文化を尊重しなくちゃいけない」というのが、ピート・シーガーの言うフォークソングの意味なんです。「さくらんぼの実る頃」は、革命家のジャン=バティスト・クレマンが亡命中に作った歌で、1971年のパリ・コミューン敗北のあとに、「どんなに時が過ぎても決して忘れない」という歌詞を付け足して、それをみんなが歌いだした。すごく長い時間をかけて出来上がった曲なんです。

――1曲ごとに、時を超えるドラマが含まれている


そういうことです。「Imagine」は1971年の曲で、私が2022年にウクライナ支援チャリティーアルバム『果てなき大地の上に』を作った時に、ヨーコさんに直接許諾をもらって、日本語の語りを入れました。どの曲も、その時その時のものとして、大事なレパートリーです。――こういう話を、コンサートパンフレットの中にも書いているんですが、すごく長くなりすぎるので(笑)。

――確かに(笑)


でもね、元々音楽は、いろんな役割を持っていると思うんです。消費されて終わっていく音楽もあれば、運命的に生き残っていく歌もある。「さくらんぼの実る頃」が、今も世界中でこんなに知られていることは奇跡ですよ。とっくに誰も知らない歌になっていて、不思議ではないんです。でも映画になったり、「リリー・マルレーン」のように戦場で歌われたり、いろんなことがあって歌は生き残っていくんでしょうね。「悲しき天使」だって、作られてから40数年も経ってメリー・ホプキンが歌っているわけで、歌にとって50年、100年の歴史なんていうのは当たり前なんです。そういう中で、人生の中でものすごく大事な出会いをした歌だけを、私は守ってきたという感じがします。だから「ジーナが生きた100年」を、今こそ見直す時期だと思うんです。100年前に生まれた不戦条約の精神は、絶対になくなってはいない。不戦条約は今こそ蘇らなきゃいけない。それが私の思いです。

――お客さんには、どんな気持ちで会場に来てほしいですか


どんな気持ちでもいいですよ。ぜひ、丸腰で来てください(笑)。どうぞ、いろんなこと持ち込んでください。くさくさした気持ちとか、何か気になっていることとか、全部持ち込んでいいですよ。そしてみんなで別世界へ行きましょう。そこでもう一回、ピュアな気持ちになりましょう。いつも言うんですよ。私のコンサートは、どうなってくださいというんじゃなくて、「あなたが一番好きな自分に帰れる時間にしてください」と。


取材・文/宮本英夫 撮影/福岡諒祠(株式会社GEKKO)

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