クラシック

【インタビュー】坂東祐大「耳と、目と、毒を使って」東京公演

【インタビュー】坂東祐大「耳と、目と、毒を使って」東京公演

©Shinryo Sasaki

【インタビュー】坂東祐大

さまざまなフィールドを横断し創作活動をつづける作曲家の坂東祐大。作品集CD「TRANCE / 花火」を今年リリースし、そのほかさまざまなアートプロジェクトを展開する彼が、自身の作品展的なコンサート「耳と、目と、毒を使って」を東京で開催する。どのような想いで公演に臨むのか、坂東に話を聞いた。

©Takeshi Shinto


――作曲に興味を持ったのはいつ頃だったんですか?

小さいころからピアノを習っていて、けっこうスパルタ式だったんです。その音楽教室のカリキュラムの中に作曲があったりもしたのですが。それとは別に音楽教室と関係なく小学校で楽譜を作って、それを誰かに演奏してもらう体験があり、面白さを知ったのはそこからだと思いますね。例えば、作曲家以外で何になりたかったかな、って考えると、映画監督とか建築家とか、作ったものをほかの人の手によって形にしてくれるようなものが良かったんですよね。自分の作ったものが、誰かの手によって形になっていくことに喜びがあるように思います。


――東京芸大附属高校から東京芸術大学と、早くから音楽の道に進みたいという気持ちは強かった?

高校に入ると周りの環境がもうそんな環境で、感覚的には音楽で一旗揚げるぞ、みたいな感じは一切なかったんですよね。なんとなく、もう自分は音楽という進路に行くものなんだろう、と思ってはいました。決意を固めるとか、そういうタイミングがあったわけじゃないんですけど、迷いなく音楽の続けてきたように思います。でも、高校の頃にやってきたことの延長線上に、今があるように感じますね。


――今回の公演『耳と、目と、毒を使って』は、刺激的なタイトルとなっていますね。3月に京都で演奏したものを、東京でさらにアップデートさせるとのことですが、どのようなものになっているんでしょうか?

写真は今年3月開催の京都公演より


かなり挑発するようなタイトルにはなっていますね(笑)。もともとは、2020年に僕の作曲家としての活動として、作品展のようなものを催したいというお話をいただいて。年齢も30代を迎える前で、タイトルも「感情の作られ方」という別のものでした。結局コロナ禍で流れてしまって、それを仕切りなおしたのが3月に京都芸術センターで開催したものになります。


――「感情の作られ方」はどのようなテーマだったんですか?

楽譜という手段を使って、演奏者がそれを奏でて、聴衆に伝える。その関係性の中で、こうしたら悲しい気持ちになるのか、こうしたら嬉しい気持ちに、楽しい気持ちになるのか――それをあらかじめ全部カテゴライズして、カタログにできないかな、と考えてやろうとしました。音楽がある種の危険性を孕んでいる、ということへの証明のような。そうして、作曲を続けていたのですが、やはり自分のメンタリティーが追いつかず、創作のドツボにハマってしまって、全然できなくて…。禁断の領域というか。こうやったら人は感動する、ということは何となく感覚的につかんでいるし、その経験値をまとめようとしたわけですが……そこで一度立ち止まって音楽の仕組みそのものから考え直したんです。


――いったんリセットして、原点回帰のような感覚で考え直されたんですね。

例えば、音楽ってジャンルとか、こういう作られ方をした音楽はこう聴かれるもの、といったマナーとか、そういう音楽的な仕組みのようなものが意識しなくてもあるんですね。その仕組みをちょっとズラすことで、その仕組みがあからさまに露出しないだろうか、と思ったんです。なので「耳と、目と、毒を使って」に続きをつけるならば「音楽の仕組みそのものをくすぐってみる」っていうことなんです。ストレートに、泣いたとか、テンションが上がったとかではなく、みんなこういうふうに聴いているけど、本当はこういうことを孕んでいるんじゃないの?っていうところを考えてみよう。そういう試みになっています。


――タイトルに違わず、かなり挑戦的な内容なんですね

「言い訳の方法」というフルートのソロ曲があるんですが、音楽と言葉って昔から密接な関係があるんですね。それはもうバッハの時代から、歌詞が無い器楽曲であっても、言い回しと関係した音型がカタログのようになっていたりする。そのレトリックを現代でやってみようと思いました。それこそ、政治家の無茶苦茶な答弁とかありますよね。仰々しい言い方をしているけれど、日本語としての意味が全く通ってない、みたいな。それを言い回しの形だけを抽出して、音楽に移植して作った作品です。なので、ヘンテコな音楽から多分こういうことを言っているんだろう、と想像して聴く作品ですね(笑)京都公演でも多久潤一朗さんの演奏が本当におかしくて、終始笑いが絶えませんでした。

あと「ドレミのうた」は、音源としては出ていますが生の場で演奏するのは初めての作品です。これは、ドの音名を「ド」と歌わせず、感覚を混乱させる曲になっています。どれだけ音名と音がセットでインストールされているか、音楽の教育を受けていればいるほど、気持ち悪く感じるようになっています。高野百合絵さんと黒田祐貴さんよるデュエットによる生演奏がとても楽しみです。


――そういうさまざまな実験的な挑戦が詰まった作品展としてのコンサートになっているわけですね。そういう挑戦の中で見えてきたのはどのようなものでしょうか?

ジャンル的には現代音楽になると思うのですが、やはり実験的なものが求められるジャンルではあると思います。クラシックの歴史があって、その最新がアップデートされていくという大きな流れがあると思いますが、これだけモノがある今でも、音楽で実験的にできるフィールドってそんなに多くないんですね。テレビやラジオでかけられるような音楽じゃないし、直接的に感情に訴えかけるようなものでもない。だからこそできることがたくさんあって、もっと踏み込んでみることで、これってただの慣習や思い込みだったんじゃないか、みたいな気づきがあるんですよ。そういうものをどんどん見つけていきたいですね。


――聴く側もすごく新鮮な気持ちになれそうですね

どうでしょうか。最初はどうかしているというか、ヤバいものを見てしまった、みたいな感じになるんじゃないでしょうか(笑)。映画や小説やダンスとかでも、ぜんぜん分からないけど、なんか頭が活性化している、みたいなことってありますよね。あれ近い感じになるんじゃないでしょうか。そこから、聴いた方がいったん生活に立ち返って、こう思い込んでいたけれど、本当はそうじゃないんじゃないか、みたいな瞬間が訪れてくれたら。そういうところにまで持っていけたらいいな、とは思いますね。そこはコロナ禍があったからこそ、余計にそう思うのかもしれないです。


――やはりコロナ禍の影響も大きいですか?

やっぱりコロナ禍があって、いろいろなものがいったん崩れ去ったじゃないですか。そういう中で、実は思い込みだったんだ、みたいなことがここ2~3年でたくさんあったと思います。それを、直接表現するというよりは、音楽作品というものの中で昇華させていくようなところはありますね。


――作曲家としてのポリシーを言葉にするとどようなものになるでしょうか?

あんまりポリシーとか座右の銘みたいなものもないんですよ。でも、そうだなぁ…音楽によって、ちょっと別の世界に連れていけるような、そういう仕掛けというか装いみたいな部分は意識しているかも知れないですね。作品を鑑賞する前と後で、鑑賞者をちょっと違った景色にすることって、アートの大事な役目だと思いますし、いろいろな音楽のジャンルがある中で、そこはいわゆるアートとしての現代音楽に求められている部分なのかな、とは感じています。

音楽の在り方自体も、ここ10年20年――インターネット以前以後で劇的に変わっていて、それは日本に限らずいろいろなところでそうなっていると思いますね。例えばヨーロッパでも、現代の作曲家がクラシックの作曲をするのに、古典を詳しく知っていないとダメだった時代がすごく長かったと思うんですね。でも、今はそういう古典を全然知らなくて、ロックやジャズしか聴いていなかった人も普通にいる世界線になっているらしくて。それってすごく面白いですよね。世代や地域によってやっていることが全然違うと思います。


――作曲家としての、今後のビジョンをお聞かせください

40代でオペラを書きたいと思っています。そこを目がけて、今すべてを動かしている感じですね。今回、最後に演奏させていただく「声の現場」という曲は、テキストとともに演奏される作品で、コロナ禍の1年間のできごとを、詩人の文月悠光さんが言葉をメモしていて、そのテキストをただ朗読するとかじゃなく、全然違う文脈をくっつけて提示するんです。事象としては知っていることだけれど、流れているものはトンチンカンで、それをアンサンブルと合わせていくような作品なんですね。その感じは、声を伴った作品への入り口のような感覚で作りました。

オペラって、作曲家がアーティストとして作るものの一番大きなものというイメージで、それは歴史的にもそうだと思います。たくさんの人に参加していただく大きなものなので、いつかは作りたい。そのために今、いろいろな実験を重ねています。



インタビュー・文/宮崎新之

【インタビュー】坂東祐大「耳と、目と、毒を使って」東京公演

©Shinryo Sasaki

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