ヴァイオリニストの﨑谷直人が6月にソロ・リサイタル「The Art of Violin」を開催する。今年、神奈川フィルハーモニー管弦楽団ソロ・コンサートマスターを辞め、大きな変化を迎えたばかりの彼が、どのような演奏を響かせるのか。その心境をたっぷりと語ってもらった。
――ソロ・コンサートマスターを務められていた、神奈川フィルハーモニー管弦楽団を今年、退団され、多くの方が驚きました。どのような心境の変化があったのでしょうか?
別にもう二度とオーケストラで弾きたくないとか、そういうことではないんですよ。またどこかでご縁があれば、やるかも知れませんが…とにかく、すごく忙しかったんです。ここ10年くらいでは、神奈川フィルハーモニー管弦楽団のほかにも、ウェールズ弦楽四重奏団やDOS DEL FIDDLESと、いろいろなことに挑戦してきて、ありがたいことにそれぞれで忙しくやってきました。でも疲弊した状態って、やっぱりよくない。1年か2年か、何年になるかわからないけれど、少し休んで思い切りやりたいことをやろうと思います。忙しい日々はまた絶対に来ますからね。
仕事をこなすことも技術で、仕事の量をこなすことはこの10年である程度できるようになりました。でも、忙しかったからこそ、ヴァイオリンと向き合う時間をちゃんと取れていなかった感じもしてきたんです。体も変化してきますし、スポーツ選手と一緒で変わっていく自分とゆっくり向き合う時間って必要。ちょっとまとまった時間を作って、もう一度自分を作り直したいと思いましたね。
――ちょっと音楽に対するアプローチが変わってきたというか、フォーカスしている部分が変わったのかも知れないですね
音楽に対する、自分から湧いてくるものって、やっぱりすごく減っていたように思うんです。可能な限りミスをしない状態で終われるか、とか、そのパッケージの中に収められるか、とか。そこをずっと考えてきていたな、と。もっとでっかいスケールで考えないと、より楽しめないし、よりうまくなれない。本当は本質的なところってあるはずなのに、忙しいとかを理由にそれができなくなるんだったら、ちょっとカッコよくクールに演奏するためには、ちょっと休む時間が必要なんじゃないか、ってね。挑戦するようなマインドが無くなっちゃうと、下手になる一方だと思いましたから。
――まさに、次のステージに進もうとされているわけですね。音楽的なこと以外でも、時間が出来たらやりたいことなんかはありますか?
今まで全くしなかったんですけど、料理したりしていますよ(笑)。もう、パスタなんかマジで旨いですから。トマトソースをもう、大量に作っちゃうんです。それをロッソにしたり、リゾットにしたり、その日の気分で作っています。ミシュランシェフの方の動画を見て、いろいろ真似しているんですよ。
あと、まだやっていないんですけどボクササイズはやってみたいんですね。もともと、ボクシングを見るのが好きなんです。プロライセンスを持っている知り合いがいて、多分シャドウみたいな感じになるんだと思うんですけど、手に負担が無い形で体を動かしてみたいと思っています。好きな選手はいっぱいいるので、その型をやってみたりして(笑)、楽しみながらやりたいですね。
――そういう時間がまた感性の幅を広げてくれるかもしれませんね。6月に行われるソロ・リサイタル「The Art of Violin」では、ピアノ伴奏を沼沢淑音さんが演奏されますが、彼とは学生時代からの付き合いだそうですね
そうなんです。それこそ、学生時代に毎日一緒にいたヤツなんですよ。いろいろな昔のレコードやCDを聴いて、一緒にソナタとかいろいろ真似していました。ウェールズ弦楽四重奏団でミュンヘンARD国際音楽コンクールに入賞していなかったら(2008年、3位)、彼とデュオでやっていたかもしれないですね。デュオ部門とかもありましたし、やってみたいね、と話しながらお互いに忙しくなって実現できなかったことですから。
それで、去年の夏に神奈川フィルの演奏会のソリストで彼を呼んだんですよ。それが10年ぶりくらい。もう、その演奏が素晴らしくて、やっぱりコイツと弾きたいな、と思いましたね。その時にも、アンコールでモーツァルトのソナタを2人で弾いたんですけど、その数分間は…この数年間には無かった時間でした。
――沼沢さんとの再会も、気持ちの変化に影響があったのでは?
そうですね。それ以外にも、いろんな方のいろいろな言葉の影響を受けましたが、音楽家では彼の言葉…いや、言葉じゃないですね。彼の演奏に影響されました。
――旧友との再会は、学生の頃のような学びもあるんだけど、こうしてみたらどうだろう?みたいな遊びのような発見性があるかもしれないですね
そう!本当に楽しかった。やっぱり、仕事になるとどうしても求めるところって変わってくるし、コンマスをやっているときも“人のために”とか“今いる人をどうやったら良くできるか”というところにフォーカスするので、時に自分をおざなりにしている瞬間がある。いい意味で、自分たちのために弾きたい、と思えました。
――今回の選曲は、そんな学生時代のようなワクワク感に立ち返れるような楽曲が選ばれているのでしょうか?
そうですね。まさにヴァイオリンと言えば、というプログラムばかりです。「The Art of Violin」というタイトルなんですが、同名のドキュメンタリー映画があって、そこから取っています。その作品はヴァイオリンの巨匠たちの演奏が収められているもので、なのでプログラムもヴァイオリンに関係したものばかりになっています。
――ヴァイオリンを音楽だけではなく、アートという広いフォーカスで捉えたタイトルになっていることも、意図を感じたのですがいかがでしょうか?
もちろん、それはあります。ヴァイオリンにはもっと可能性があるし、ヴァイオリンをもっと弾きたいという欲求がないとそれは出せないと思っていますね。やっぱり、子どものように弾く大人、って難しいんですよ。きっと、どんな仕事でもそう。
すごく影響を受けた言葉なんですが、ボクシングの竹原慎二さんが「現役に戻りたいですか」っていう質問に対して「今の頭で現役に戻りたい」というようなことをお話されていたんですよ。
竹原さんはケガのため24歳で引退されていて、その後ジムをやったり教えたりする中で知識がどんどん増えたと思うんです。でも、現役には戻れない。でも俺らは、音楽ならできるじゃないですか。…そう思うと音楽家からの影響って、全然受けて無いですね(笑)。
江頭2:50さんも、すごく好きで、YouTubeチャンネルをよく観ています。もう、すごく楽しそうじゃないですか。ものすごくバカなことを真剣にやる55歳。すごくカッコいいですよね。それを周りにいるスタッフが何より幸せそうに見ている。そして、有名な密着番組よりも、地方のグラビアアイドルとゴチャゴチャやる仕事を迷いなく選ぶんですよ。尊敬しますね。
――自分のやりたいことが確固としてあるから、選択も迷わないんでしょうね
多分、数年前の自分に大きな仕事と小さな仕事が同時に来たら、大きな仕事を選んでいたと思うんですよね。大人ってそうじゃないですか。同業者は同業者で、いろいろ影響もあるんですが、そういう、音楽以外のいろいろなものからもちょっと背中を押されて、今に至ります(笑)
――今後、演奏家としてどのようなことをやっていきたいか、今のビジョンをお聞かせください
これから1年くらいの大きなプランは頭の中にあって、個人ではバッハのソロの録音をやったり、ブラームスのソナタを沼沢くんとレコーディングしたりする予定です。その間にDOS DEL FIDDLESとか、結構全国を回る予定もありますし、今までよりも多面的に、いい音楽をお届けできたらと思っています。ちょっと欲張りに、いい音楽を求めていきたいですね。
インタビュー・文/宮崎新之
﨑谷直人(ヴァイオリン)The Art of Violin 公演情報