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【インタビュー】丸山 貴史
丸山 貴史
大人気の図鑑『わけあって絶滅しました。』シリーズのパネルをはじめ、絶滅生物の骨格標本や化石、絶滅から生き延びた生物などが大集合する『わけあって絶滅しました。展』が、7/22(金)~9/4(日)、大阪南港ATCホールで開かれる。
『わけあって絶滅しました。』は2018年に発売され、第2弾、第3弾とシリーズ化。「アゴが重すぎて絶滅したプラティベロドンさん」「デコりすぎて絶滅したオパビ二アさん」「やさしすぎて絶滅したステラーカイギュウさん」など、生物たちの絶滅の驚くべき理由が、軽妙でユニークな語り口で描かれ、シリーズ累計発行部数90万部突破のベストセラーになった。著者の丸山貴史さんは今回の展覧会の監修を務める。丸山さんが本の出版の経緯や、生物の絶滅と進化、展覧会などについてたっぷりと話してくれた。
――『わけあって絶滅しました。』の図鑑シリーズは、大人が読んでもじっくりと隅から隅まで楽しめましたし、考えさせられました。
ありがとうございます。『ざんねんないきもの事典』を一緒に作った編集者が、同じ四六判という判型で『わけあって絶滅しました。』も企画したんです。そのあたりから、この大きさの図鑑が急激に増えましたよね。今まではなかなか図鑑に採用されなかった判型なんですけど。
――もともと、絶滅した動物について書いてみたいというのはあったのですか。
そうですね。僕は動物のなかでも、特に哺乳類が好きなんです。古生物というと恐竜がダントツ人気で、哺乳類がその他になるのが、なんとなく許せなくて(笑)、哺乳類にもっとスポットをあてたいというのはありましたね。
――語り口もラップだったり、演劇やドラマの脚本風だったりと、多彩で読者をあきさせないですね。
それも編集者のアイデアなんです。最初は、ああいう口調にするつもりはなかったのですが、やるんだったら一人称にして、「わけあって絶滅しました。」というタイトルにしようと。僕はどちらかというと情報をギュウギュウに詰め込みたいタイプなので、もっと内容を入れないとダメだみたいに、お互い意見を出し合い、時にはせめぎあいながら作っていきましたね。
人間が絶滅させた生き物をストーリー的に紹介した本は結構、世に出ているんです。でも過剰にお涙ちょうだいもの演出をしたり、我々人間はこんなに醜い生き物だという部分を煽ったりするものが多いので、僕はそれは違うと思ったんです。この本では、とにかく人間が悪いということはあえて言わない、過剰に悲しい雰囲気は作らないと、そこは意識しました。
――絶滅した理由が、また面白くて衝撃的だったのですが、理由というのは、たくさん仮説を重ねて検証していくものなのでしょうか。
人間が狩りつくしたという近代の話は別として、化石でしか残っていない生き物の絶滅理由は分かんないものなんですよ。恐竜ですら、巨大隕石が落ちたのが絶滅のきっかけと言われるようになったのは1980年代で、結構、最近なんですよね。『わけあって絶滅しました。』シリーズの監修をしていただいた動物学者の今泉忠明先生も、すべての絶滅理由は仮説に過ぎないとおっしゃっています。
――そうですか。
ある生き物の化石が、この時代以降は見つかっていない、それならばそこから環境がどんな風に変わったか。大きな捕食者が現れたとか、急に乾燥して森が減っていったとか、そういった変化があれば、そこから類推していくつかの絶滅理由を推測できます。この本では、多くの研究者に受け入れられている説もあれば、僕が推測しているものもあります。また、絶滅理由をストレートに書くと弱いので、編集者がひねりすぎて (笑)、それはちょっと言い過ぎだと引き戻すこともありましたね。この本の企画自体、「絶滅理由はいくつあるか?」というところからスタートし、とりあえず50本挙げてみたところで、こんな感じだったら面白そうと進んでいったんです。
――「やさしすぎて絶滅したステラーカイギュウさん」は、仲間が攻撃されると集まって助けようとしたのが絶滅理由だそうですが、この推測は?
ステラーさんというドイツ人の船医が乗っていた調査船が難破して、ベーリング島という無人島で10か月ほど過ごしたんです。かれらがどうやって生き延びたかというと、海辺の浅いところにいたステラーカイギュウを捕まえて食べ、その皮で船を修理したそうです。ステラーは博物学者でもあったので、ベーリング島の生き物について詳細な記録を残しています。そのなかに、「ステラーカイギュウは仲間がケガをするとそれを助けるように集まってくる」という記述があるんです。どこまで本当のことかわかりませんが、現存する数少ない目撃情報なので、そこは信用してもいいと思います。
――それは貴重ですね。
ステラーに発見されるまで、ステラーカイギュウは天敵もおらず、昆布などを食べて静かに暮らしていた。かれらは氷河時代が終わるとともにどんどん分布を狭めていったので、遅かれ早かれ絶滅していたんだろうけど、人間がとどめを刺したのは確かです。でも、現代とは常識の違う250年くらい前の外国の漁師がやったことを、現代の日本の子どもたちが罪の意識を感じる必要はないと思います。そこで、人間がひどいことをしたんだよとは言わずに、仲間たちを思うやさしい気持ちが仇になって絶滅したんだよと。地球が温かくなって絶滅、人間が狩りつくして絶滅とも言えるわけですが、できるだけ面白そうな角度から絶滅理由を紹介しています。
――視覚的にも衝撃的だったのは、「デコりすぎて絶滅したオパビ二アさん」です。5つの目で、顔の前にゾウの鼻みたいなホースがありますが、最初の〝デコり〟はもっと少なかったのですか?ドンドンと増えていくものなのでしょうか?
かれらの祖先と思われる化石が見つかっていないので、その過程はわかりませんが、少なくともかれらが生きていた時代は、あの形が最適だったんだと思いますよ。それではなぜ絶滅したかというと、環境が変わったからでしょう。オパビ二アの時代は4億年以上前ですから、ほぼ何も分かっていないに等しいんです。でも、オパビ二アのようにパーツが過剰なものは子孫を残せず、そこで系統は途切れているんですよ。だから、似たような生物同士が競合した場合、シンプルなもののほうが強いんだと思います。昔のラジカセみたいにボタンがいっぱいあると使いにくいですよね。多機能は魅力ですけど、シンプルなほうが使いやすいし壊れにくい。オパビニアも、目が5個あって、足もイボ足で、ヒレもあって、口も延ばして、いくらなんでも過剰だろと(笑)。やりすぎて、機能を付けまくったら、効率が悪くなったのかもしれませんね。オパビ二アにわりと近いグループの生き物に、「歯が弱くて絶滅したアノマロカリスさん」がいるんですが、見た目はずっとシンプルですからね。過剰なのはよくないんだと思います。
――「シンプルイズ ザベスト」なのですね。
今朝、大阪の喫茶店に行ってモーニングを食べたんですけど、オバちゃんがしてくれたメニューの説明が過剰だなと思いました(笑)。朝からそんなに説明されても胸焼けするよと。
――それは大阪人の性質かもしれません(笑)。
昨日は、通天閣の巨大滑り台のタワースライダーに乗ったんですが、案内してくれるオバちゃんのしゃべりも過剰でしたね(笑)。「あれって、大阪で標準?」と一緒に行った大阪の友人に聞いたら、「あれは大阪でも過剰だ」と言ってましたよ(笑)。
――そうですか(笑)。滑り台はいかがでしたか?
思ったより、全然、面白かったです。過剰な説明も含めて(笑)。
――オパビ二アに話を戻しますが、あの過剰な進化には、やはり生命の神秘を感じますよね?
僕はあまり生命の神秘という考え方が好きではないんですよね。結局、環境に有利なものがたくさん子孫を残し、その結果として進化が起きるわけですから、オパビニアが生きていた時代は、あの姿が最適だったわけです。だから、「進化は面白い」とは思いますが、それを神秘とは思わない。
――なるほど、そうですか。
たとえば、アノマロカリスのような姿のものからオパビ二アが進化してきたのであれば、目の数が5個になったら視界が広がるなど、何かしらのメリットがあったと思うんです。目を増やせば余計にエネルギーを使うわけですが、それ以上のメリットがあったんでしょう。すべて、環境に最適化しているからこそ、生き残っている。そして、近い生き物が競合すれば、わりと短期間で最適じゃないほうが排除されます。これは、生命の神秘でもなんでもなく、ただ有利か不利か。だから、すべての進化には理由があって、面白いと思うんですよね。「ざんねんないきもの」だって、進化に失敗しているものなんていないんですよ。たとえば、ブチハイエナはメスにも男性器があるのはご存知ですか。
――えっ、メスにもあるのですか!
ハイエナの仲間4種のうち、ブチハイエナにだけ偽物の男性器(偽陰茎と偽陰嚢)があるんですよ。ブチハイエナはほかのハイエナと違い、メス優位の大きな群れを作るので、オスは立場が低いんです。そして、メスは赤ちゃんのころから、ほかのメスとの争いにさらされます。でも、男性器のようなものがついているおかげで、ほかのメスからの攻撃衝動が減っているんじゃないかと考えられています。出産時はこの男性器を通って赤ちゃんが出てくるので、最初の出産では60%の赤ちゃんが死にます。それって、子孫を残す上でめちゃくちゃ不利なのに、それを超えるメリットがあるから進化してきたということですよね。
――そうですね。ところで、丸山さんは本に「滅びるのは人間かもしれない」と書かれていますが、多くの人にとって関心のあることだと思います。やはり、滅びるのでしょうか?
そりゃ、いつかは滅びますよ(笑)。いつと言われたら、僕も分かんないですけど。
――地球環境や世界情勢を考えると、そう遠くないような気がしているのですが。
何によって滅びるかですよね。戦争だったら、ごくごく最近かもしれない。温暖化は地球の視点から見れば、平均気温が1℃や2℃上がったところで、どうってことはない。中生代のジュラ紀には、大気中の二酸化炭素が今の4倍くらいあったので、気温が高く、光合成も活発になり、シダやソテツが巨大化していた。そのおかげで、全長が30mを超えるような巨大な植物食恐竜が登場したんです。それじゃあ、温暖化が進んでも問題ないのかというと、そんなことはない。なんでかというと、人間を含む現在の地球の生き物は、ジュラ紀のような環境で進化してきた生き物じゃないから。なので、誰が困るかといえば、現在の地球に最適化しているすべての生き物なんです。だから、できるだけ環境は変えないほうがいいでしょうね。
――確かに、そうですね。
僕が講演会で、「どうしてほかの生き物を絶滅させてはいけないと思う?」と聞くと、「かわいそうだから」と答えてくれる子がいます。でも、その理由では弱いと思うんですよね。じゃあ、かわいそうではない動物は殺してもいいんですか? 去年、沖縄で新種のゴキブリが発見されましたが、ゴキブリが嫌いな人は絶滅させてもいいと思うかもしれない。ヤンバルクイナやアマミノクロウサギを守るために、ネコやマングースが殺処分されてきましたが、ネコやマングースはかわいそうではないのでしょうか。かわいそうという気持ちはもちろん理解できますが、その理由だけでは弱い。そこで先ほどの、できるだけ環境は変えないほうがいい、つまり多種多様な生き物が暮らせる環境を残したほうがいいということにつながります。ただし、こういった問題には正解がないので、みなさんにも考えてみてほしいですね。
――今回の展覧会でもそれを考えてほしいと。
そこまで言うと、説教臭くなっちゃうから(笑)。あくまで娯楽として、展覧会は楽しんでほしい。ただ、「いまもいろいろな理由で絶滅しそうな生き物がいるよ」という事実は知ってほしいなと。シンプルにそれだけ。「だからこんなことをしよう」とはいいたくないんです。子どもたちがそこで感じた気持ちだけを持って帰ってくれれば。
――丸山さんは、イスラエルのダチョウ牧場で働いたり、世界各国を回って色んな動物を観察されてきています。生き物と人間との関係はどう思われますか。
観察というか、単に動物観光をしているだけです(笑)。たとえば、ウガンダではマウンテンゴリラを見たんですけど、僕が行って1~2週間後ぐらいにゲリラが観光客を皆殺しにした事件が起こりました。ウガンダの政府がマウンテンゴリラの生息域一帯を保護区に指定し、そこに住んでいる人間を強制的に追い出したのですが、そのことで不満が高まっていたようですね。おそらく、ゲリラの人たちは、ゴリラを保護する意義などわからなかったのだと思います。
保護というのは本当に難しい。物事にはいろいろな面があるので、一面的な見方をしていると、根っこの部分では正しくても、その行動は逆効果になる場合があります。「絶滅させないためにこんなことをしよう」と本で紹介しないのは、そういった難しさがあるからなんです。
――その背景を知ることも大切ですね。今回の展覧会では、丸山さんは監修をされています。
本のページを拡大したパネルが展示されているので、本を読んだことがない方でも絶滅した理由は分かります。絶滅した生き物の展示は骨格標本や化石ですが、「絶滅しそうで、してない」ハイギョやカブトガニは、生きたまま展示しています。しかもハイギョは、アフリカ、南アメリカ、オーストラリアの3種です。水族館でも3種のハイギョを同時に見ることは、なかなかできませんよ。
――アノマロカリスやオパビニアのロボットも登場します。
まだ、僕も実物を見ていないんですが、アノマロカリスは昆虫みたいな見た目だから小さそうに見えるけど、実物は1mぐらいあるので迫力があると思います。オパビニアの実物は5㎝ぐらいですが、ロボットは3m以上もあるそうです。図鑑のイラストだけでは想像しにくい部分を、視覚的に補えると思います。ぜひ、見比べてほしいですね。
――7月には、今泉忠明さん、丸山先生監修で、新刊の『わけあって絶滅したけど、すごいんです。』という絵本も出版されます。
『わけあって絶滅しました。』シリーズでメインイラストを担当したサトウマサノリさんの絵本です。全部ひらがななので、幼稚園のお子さんでも読めると思います。展覧会と併せて楽しんでほしいですね。このシリーズは、子ども向けの本なので、ぜひ親子で来ていただきたいですね。テーマパークに比べたら安価ですし(笑)、涼しい館内で熱中症を気にせず楽しく過ごしてもらえれば。そして、最後にちょっとだけ、絶滅について感じた気持ちを持って帰っていただければうれしいです。
取材・文 米満ゆう子