©長谷川清徳
花開く子供心
小野絢子・福岡雄大に聞く
緑と赤のクリスマス・カラーが街を彩り、「くるみ割り人形」の季節がやって来た。チャイコフスキーの甘美な調べに乗せて、少女が聖夜に見た夢を描くこのバレエ。世界中で愛されている定番演目だが、バレエ団によって演出は大きく異なる。新国立劇場バレエ団で上演されるのは、英国の重鎮ウエイン・イーグリングが2017年、同バレエ団のために振り付けたバージョン。「ダンサーたちが優秀すぎて、要求がどんどん高くなってしまった」と振付家が語るように、質量ともに充実した舞台だ。初演時から主役を務める看板ペアの小野絢子と福岡雄大に見どころを聞いた。
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◆世界一(?)、過酷なバージョン
――イーグリング版「くるみ割り人形」も8シーズン目です。オリジナルキャストとして本作を熟知するお二人から見た、振り付けの特徴は?
福岡 ただただ難しい、その一言です。男性の主演者は「ドロッセルマイヤーの甥(おい)」「くるみ割り人形」「王子」の3役を務めるのですが、出ずっぱりで、息つく暇もありません。技術的にも体力的にもこれほどハードなバージョンは、世界を見渡してもないでしょう。ウエインさんは「チャレンジング(挑戦的)」という言葉をよく使われましたが、過酷さを超えてどれだけゴージャスに、エレガントに見せられるか。今もチャレンジが続いています。
小野 クラシックバレエの様式を守りつつも、ネオクラシックの技術を多用しており「形」よりも「ムーブメントの軌跡」や運動量の多さから生まれる「熱量の大きさ」をみせていくような振付だと思います。リスキーなリフト、トリッキーなパートナリングに溢れていて、勇気と信頼関係も試されていると感じますね。あと一歩遠くまで踏み込むパッションを求められるんです。
福岡 主役だけではなく「花のワルツ」などの群舞においても、男女が息を合わせるパートナリングとリフトが重視されています。第2幕のディベルティスマン(余興)のうちペアを組まないのは、男性が躍動する「ロシアの踊り」だけかな。自分のことだけを考えていたらペアは成り立ちませんから、若手にとってはまさにチャレンジング。
――鮮やかなオレンジ色の装置・衣裳で踊られる花のワルツは疾走感と高揚感にあふれていて、圧巻です。グラン・パ・ド・ドゥはもちろんのこと、ペアの踊りこそがバレエの醍醐味なのだと観客も納得させられます。
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小野 ウエインさんがもともとパートナリングを得意としている方なので、その可能性を広げたいとの思いがおありだったのではないでしょうか。
――それでは、演技面での特徴は?男性主演者の3役は一つの人格として演じているのですか。
福岡 最初に出る「甥」は普通の青年で、割と入りやすいキャラクターです。次の「くるみ割り人形」は、無機質ながら心のある存在。広間に現れたねずみの王様たちからクララを守るヒーローでもありますね。そしていよいよ「王子」に変身しますが、ここまで来ると疲れてまだグラン・パ・ド・ドゥがあるのに歩くのさえしんどくて、「楽屋まで動く歩道がほしい」と何度思ったか(笑)。とはいえ、大変さをアピールするつもりはありません。お客様には幸せな夢を見ていただくのが、僕たちの仕事ですから。
――夢の裏側に、それほどの苦労がおありとは……。女性の側も、主人公の少女「クララ」と「こんぺい糖の精」の一人二役ですね。通常の演出は、(1)子役とプリマ・バレリーナが分け合う、(2)プリマが通し役として踊る、のいずれかですが、イーグリング版は折衷型。「クララは夢の中で大人になっている」という設定で、ねずみとの闘いの前に、子役とプリマが入れ替わります。
小野 子役と同じネグリジェ姿の「クララ」と、お菓子の国の、チュチュを着た「こんぺい糖の精」を踊ります。こんぺい糖は、夢の中で憧れのバレリーナになったクララ本人なのか、それとも別人なのか。どちらもありで、指定はされていないんです。私自身は本番の度に、解釈が変わりますね。クララが色濃く残る場合もあれば、そうした甘さを排して「ザ・こんぺい糖!」が強く出る時も。劇場の空気や相手役によって、おのずと違ってくるのが不思議なところです。ただ、王子と踊るグラン・パ・ド・ドゥでは王道のクラシックをしっかり味わっていただく、という点だけはぶれないようにしています。それまでのクララは子供らしさが全開で、比較的自由に動くことができます。
福岡 イーグリング版は子役の扱いを含め、子供の描き方が巧みだと思います。
――気球が飛んだり、敵役であるねずみの王様が意外に憎めなかったり。少年少女の好みが随所につまっていますよね。お菓子の国に両親や姉が普段とは違う姿で登場するのも、「子供時代に見た夢の中では、家族や知人がいろいろな役を演じていたから」だそうです。
小野 ウエインさん自身、おちゃめな子供心をすごく残していらして、少年のような笑顔をする方。さまざまな場面で振付家の顔が垣間見えるというのはありますね。
◆大変な瞬間こそまろやかに
――吉田都監督の時代に入ると「くるみ割り人形」は、年末だけでなく年始まで貫くロングランになりました。毎シーズン欠かさずに、しかも長期にわたって上演される、特別な演目です。新鮮さを保つために、どんな心構えで臨んでいらっしゃいますか。
福岡 変わらぬ演目、変わらぬ二人でも、同じ舞台は一つとしてありません。朝、目が覚めたら常に新しい毎日であるのと同様です。心構えとしては、「踊り心」を忘れないこと。シーズンの度に「主役を与えられるのはこれが最後」と思い続けて、8回目になりました。だからこそ、体や顔がどうこうではなく心を動かすこと、踊ることの喜びを忘れずにいたい。
小野 言いたいこと、かぶった(笑)。その通りで、何度踊ろうとも、毎回が新しい挑戦です。年齢を重ね、フィジカルの面で厳しくなってきても、お客さまにとっては夢のひと時でなければいけません。私が心掛けているのは、大変な瞬間こそ簡単そうに踊ること。息をするように、まろやかに、穏やかに見せたい。逆に、何気ないところではゴージャスに。そうしたほうが、大体において上手くいくんです。この演目が、というよりも、バレエ全般がそういうものではないでしょうか。
福岡 うん、バレエの極意だね。
◆助けとなるのはチャイコフスキー
小野 助けとなるのはチャイコフスキーの音楽です。どの場面も、曲を聴けば情景が浮かびます。序曲が醸し出すクリスマス気分に心が弾んだり、グラン・パ・ド・ドゥでは厳かな気持ちになったり、音の表情や色が豊か。音楽だけでも主役になれるのが「くるみ割り人形」の魅力です。
――「三大バレエ」のうち、音楽的には最高傑作ともされていますね。そしてこれが、チャイコフスキーの遺作となりました。
福岡 チャイコフスキーはたぶん、目を輝かせながら「くるみ割り人形」を書いたんじゃないかな。個人的に好きな曲は、クララの家の広間でみんなが楽しそうに踊る場面や「雪片のワルツ」……。たくさんあります。音楽だけではなく、周囲の仲間やスタッフさんにも助けられていますし、一番は、劇場自体の力が大きい。一歩足を踏み入れれば、非日常の世界。新国立劇場そのものが夢の空間です。全てが他所では見られない、本当に唯一の「くるみ割り人形」だと思います。
小野 きょうのお客様は、ここから何か一つでも思い出を持ち帰ってくださったかな、何かを共有できたかな、と願いながら、いつも舞台に立っています。全体的にはやはり運動量が多く、流れるようなエネルギーがあふれる作品。心を開放して、そのエネルギーを楽しんでいただけたら幸いです。
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12月21日(土)から1月5日(日)まで、大晦日と元日も続く、新国立劇場バレエ団の「くるみ割り人形」。聖夜のドリームも初夢も、ここで見られる。鑑賞後の胸にあふれる多幸感が、劇場からのクリスマス・プレゼント、またはお年玉だ。年明け1月12日(日)の長野・上田をもって、初演以来の上演総数は99回に上るという。
取材・文/齊藤希史子
掲載日:2024/12/13
新国立劇場バレエ団『くるみ割り人形』公演情報│ローチケ[ローソンチケット]