クラシック

【インタビュー】森本隼太

【インタビュー】森本隼太

森本隼太

2022年ヘイスティングス国際ピアノ協奏曲コンクールで優勝し、その若く鮮烈な才能を響かせているピアニストの森本隼太。今年3月と5月には英ロイヤルフィルとの公演も予定している彼が、6月に森本隼太ピアノ・リサイタル2023「幻想」を開催する。現在単身イタリア留学中の彼は、母国日本でどのような音色を届けてくれるのだろうか。話を聞いた。


――今回のリサイタルは「幻想」ということですが、どのようなステージになるのでしょうか?


「幻想」っていう言葉自体は、ソナタのように明確ではなく、自由な形式なんですね。作曲家や時代によって、全然スタイルが違うんです。例えば、バッハとラモーはほとんど同じ時期の作曲家ですが、フランスにいたラモーとドイツにいたバッハではまったく違うスタイルになっていて、すごく面白いんですよ。そういう感じで、それぞれの作曲家の魅力が見えてくるようなコンサートになればと思っています。なので、それぞれの個性をちゃんと引き出せるよう、1つ1つの曲にちゃんと向き合いたいと思います。作曲者の思っていることを、どうやって音楽にのせていくのか、その中でそれぞれの違いが出てくると思っています。


――プログラムについてもお聞かせください


まずラモーですが、グラヴサン組曲より「ガヴォットと6つの変奏」「サラバンド」を演奏する予定です。もしかしたら、もう1曲加えるかも知れません。ラモーを勉強するのは初めて。バロックだと思っていたんですけど、バッハとはぜんぜん違うんですね。バッハはカノンでいろいろな声が繋がっていく感じなんですけど、ラモーは僕が見たこともないようなマーク(多様な装飾音符の記号の事)がいっぱい楽譜についているんです。トリルのような装飾音もたくさんありますね。バッハはその前の時代の集大成のような感じで天才的なんですが、ラモーはポリフォニーのようないろんな旋律が重なるというところから、より新しいもの(古典派に通じる和声理論)、その土台を作ったような印象です。ハーモニーやリズムがバッハと全然違うのに、聴きやすい。発見がたくさんありますね。ラモーを聴く機会はそんなに多くない気がしますし、僕も今、いろいろ考えて勉強しているところです。個人的には、このバッハとラモーの違いがとても重要なテーマの一つになっています。

また、ショパンの「幻想ポロネーズOp.61」は昨年も弾きましたが、非常に複雑な曲。なかなか自分としてもしっくり来るのが難しくて、世界的に有名なアンドラーシュ・シフ先生のレッスンもアカデミーの中で受けてきました。そしたら、シフ先生でもこの曲に関しては構造的に曖昧な点があって、はっきりと理解できないとおっしゃっていました。幻想曲とポロネーズのミックスなんだけれども、本当に自由に動き回る素晴らしい曲なんです。ショパンは祖国ポーランドを離れて、祖国への思いがすごく強かったと思うんですが、そういう要素も結構出ていると思っています。ポロネーズはポーランドのダンスで、すごく世界観が広い音楽だから、そういう部分ももっと深めていきたいですね。

ブラームスは、このところすごく共感できる作曲家です。「幻想曲Op.116」を演奏します。すごく個人的なお話なんですが、今イタリアに住んでいて、友達も沢山でき話し相手もいるにも関わらず、ふと孤独感を覚えることがあるんです。そういうときに、ブラームスの歌曲とかにめちゃくちゃ共感できるんです。孤独があるんだけど、愛情がすごくこもっていて、とてもおおらか。とにかく、ハマってしまっています(笑)。「幻想曲Op.116」はかなり晩年の曲なんですが、この後にいわゆる名曲と言われている作品を遺しています。短い曲がいろいろと集まっているんですが、その1つ1つに彼のいろんな気持ちが詰まっていると思います。

バッハの「半音階的幻想曲とフーガ」は、深い悲しみや葛藤が自由な形式で目まぐるしく表現された名曲です。この作品は、バッハが比較的若い頃に作曲されました。幻想曲は、即興的な前奏曲とレチタティーヴォ(話すような独唱)のセクションに分かれています。フーガも「平均律クラヴィーア曲集2巻」のように完全に完成された形で書かれているわけではなく、主題も比較的自由に扱われています。バッハの深い想像力や感受性に触れられる大曲としっかり向き合っていきたいです。

モーツァルトの「幻想曲 ハ短調 K.475」はもともとソナタ14番ハ短調の曲のエピローグとして書かれた作品なんです。でも最終的にはプロローグとなり、よく14番ソナタと一緒に演奏されています。

このソナタと幻想曲はひとりの夫人、テレーザに献呈されたのですが、その夫人は当時モーツァルトが住んでいた家の主人の妻だったそうです。そのテレーザは1781年からモーツァルトのピアノの生徒でもあり、しかもモーツァルトは作品が完成した時も彼女のために演奏方法書を贈ったとされたようなんですよ。モーツァルトが亡くなった後、妻コスタンツァがテレーザ夫人にその演奏方法書を渡す様に頼んだのですが、テレーザは拒否したそうです。だから僕たちはそこに何が書かれたかわからないのですが、この曲で見られるこの上ない優しさと絶望の対話から、非常に個人的で真剣なモーツァルトの気持ちを感じるんです。

リストの「ダンテを読んで~ソナタ風幻想曲 S.161」については、イタリアに住んでいるとダンテというのは誰もが知っている物語なんですよ。高校生は全員学ぶものですから。ダンテの「神曲」は、地獄編、煉獄編、天国編の3部から成っていて、この曲はその中でもダンテが恋心を抱いていた亡きベアトリーチェに導かれて天国を見る場面があるんですけど、そのシーンの影響が大きいんじゃないかと思っているんです。曲の中には地獄的というか、悪魔的な要素、神の試練のような要素もあります。そういう宗教的な精神性をもった作品ということはとても大事な要素だと思っています。この曲のすごく好きなところは、ピアニッシモで自分の憧れであるベアトリーチェに対しての妄想的なイメージだけの美しさを表現した後に、実際の現実で包み込まれるような人間としての触れ合うことの喜びのようなものを感じられる流れがあるんですね。僕はベアトリーチェと語るようなシーンがあるんじゃないかと思っていて、未来に向かって強く生きるような、すごく肯定されるようなイメージを持っています。


――イタリア留学での学びがあってこそ、それぞれの作曲家への理解が深まってきているところなんですね


リストの「ダンテを読んで~ソナタ風幻想曲 S.161」は、ダンテの神曲にリストが影響されて作曲しました。ダンテは、イタリアに住んでいると誰でも知っている詩人です。高校生は全員学ぶものですから。当時共通語だったラテン語ではなくトスカーナの方言で書かれ、その後のイタリアでの標準語はトスカーナ方言ということで定着しました。僕もトスカーナ州ではたくさんの時間を過ごしました。僕が勉強しているナボレ先生とイタリアで初めて会ったのもトスカーナ州のシエナで、今でも頻繁に訪れます。ダンテの「神曲」はイタリア語で書かれているので、読もうとすれば読めるんです。20ページぐらい読もうとはしたんですけど、とっても難しくて…。でも、それだけでも言葉の美しさは感じました。それで、イタリアの友だちに読んでもらったんですよ。言葉の美しさとともに、物語としての素晴らしさもあって、表現が豊かなんです。フィレンツェにも実際に行って、ダンテが住んでいた場所にも訪れましたなので、以前日本でこの曲を勉強した3年前よりは今の方が理解が深まっていると思いますね。。


――いろいろな経験が、音楽への理解へとつながっているように思います


日々の経験が音楽への向き合い方や感じ方へとつながっていることはあると思います。しかし、別に文字が理解できたからといって、音楽に影響するかと言われると、違うような気がします。影響があるかもしれないけれど、どちらかというと、音楽そのものから自分が感じるそのままの精神性みたいなものを一番大切にしたいですね。


――あくまで周辺の理解であって、音楽そのものから受けるインスピレーションを一番大事にするということですね


このごろは演奏をしていく中で、人間らしさってすごく大切だと思っていて。ブラームスもモーツァルトも、すべての素晴らしい作曲家の作品が持っている引き出し、その引き出しの中の人間性を、いかに僕がお客さんとその心の中につなげていくか。ただ単に美しいもの、美のイデアとかではなく、そこに人間らしさを想うということが、すごくいいんじゃないかと感じています。


――どこか人の手を離れたような美しさではなく、血の通ったような美を届けたいんですね。最近のイタリア留学の中では、どのような発見や学びがあったのでしょうか?


発見はもう、本当に日々あります。でも、最近は、そこをあまり考えすぎないようにもしていますね。というか、考えを持たないようにしています。一昨年にイタリアに来てから、自分の知らないものにたくさんぶつかって、自分が本当に何にも知らないことに気付かされました。だからこそ、自分からいろいろ勉強してみよう、もう一度自分を見つめなおそう、という気持ちになったんです。本や哲学者の考えに触れる中で、理解はしていても自分の中で消化しきれていないな、と思うところもあって。ギリシャ文化や彫刻、絵画、悲劇などにも興味はあるんです。そういう興味があるものに触れて、自分がどう思うのか。本当にありのままにそれを感じるために、今までのものを一度取っ払ってしまっているような時期ですね。


――とにかく興味のあることのインプットに徹していて、それをどう感じるのかは、もう少し時間をかけて自分をまっさらにしてから、という感じでしょうか?


ピアニストとして、それがいいのかどうかは分からないですが…めちゃくちゃ掴もうとして掴めるものと、掴もうとしなくてもいつの間にか勝手にそばにあるものってあると思うんです。ありのままに触れていたら、いつの間にかゲットできているというか。今、イタリアでの僕の周りにはすごくいい人たちがいて、芸術家もいれば映画監督もいるし、歴史の教授とは1カ月も一緒にすごしました。そのほかにも音楽家やデザイナーなど、本当にいろいろな人と知り合っています。そういう人たちと過ごす中で、いつの間にか得られているものに、僕は少し賭けているのかもしれません。もちろん、曲のこととかについてはたくさん調べているんですけど、作品と向き合うこととその調べていることはまた別なんですよね。本当に、自分の経験として学びたいんだと思います。


――知識としての理解と、感性としての理解は別だ、ということなのでしょうね。ちなみにですが、今後は英ロイヤルフィルとの共演が予定されています。そちらについては、どんなお気持ちでいらっしゃいますか?


現在、ロイヤルフィルとは4回の公演が決まっています。ロイヤルフィルだからということで気持ちに特別な変化はないんですけど、実際に弾いている中で、指揮者の方やオーケストラの方一人ひとりとのつながりってすごく大切なんですよ。ロイヤルフィルだから、というわけではなく、そういう一人ひとりとのつながりは大切にしたいですね。本当に演奏されている方々は素晴らしくて、演奏していると勝手に共感できるんですよね。その共感が、素晴らしい経験になればいいなと思います。


――最後に、今回のリサイタルを楽しみにしている方々にメッセージをお願いします!


イタリアで常にいろんな刺激に触れて、新しくそれぞれの作品と向き合って、勉強しています。その学びを精一杯活かして、より作曲家の情熱に近い音楽、その作曲家が書いたときのテンションを、音楽としてみなさんにお届けできたらいいなと思っています。ぜひ、楽しみにしていてください!



インタビュー・文/宮崎新之


森本隼太ピアノ・リサイタル2023「幻想」

【インタビュー】森本隼太
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