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至上の印象派展 ビュールレ・コレクション ≪音声ガイド≫井上芳雄 インタビュー
スイスで後半生を過ごしたドイツ人実業家エミール・ゲオルク・ビュールレ。1937~56年にかけて、彼が心の拠り所として収集した美術作品はチューリヒにある邸宅の隣の別棟に飾られ、彼の死後、そこは美術館となって収集品が一般公開された。以来、コレクションがスイス国外でまとまって公開されたのは数回のみ。さらに、2年後にチューリヒ美術館に全コレクションが移管されることが決まったため、現地以外でその全体像が見られる最後の機会となる実に貴重な展覧会「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」が、今月14日より国立新美術館で開催。教科書などで見たことがあるかもしれない、ピエール=オーギュスト・ルノワール《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)》、ポール・セザンヌ《赤いチョッキの少年》ほか、ドラクロワ、ドガ、マネ、ファン・ゴッホ、ゴーギャン、モネ、マティス、ピカソ……の代表作が揃い、出品される64点のうち約半数が日本初公開!
この至福の世界へといざなうナビゲーター(音声ガイド)に、ミュージカル俳優の井上芳雄が起用された。ガイド収録直後の井上を訪ね、本展の見どころ、また自身の美術との関わりについても語ってもらった。
――美術展の音声ガイドの仕事は初とのことですが、終えた直後のご感想は?
井上 「僕は美術にすごく詳しいとかそういうことではないんですけど、そんな僕みたいな人でも知っているような有名な絵画が今回たくさん来ています。そしてビュールレという一人の人物が集めたものなので、彼の好みやセンスが反映されているとはいえ、絵画や美術の歴史がこのコレクションを通じて感じられる。こういう音声ガイドで説明してもらうと、「あ、絵画ってこういう変遷をたどって今に至っているんだな」ということがよくわかると思います。なので、その絵画自体を楽しむことと絵画の変遷をたどることの二度楽しめるっていうんですかね。こうして誰かのコレクションがやって来るっていうのは、すごく面白いことだと思いました。」
――収録にあたってどんな準備をしましたか? また収録はどのように進んだのでしょうか?
井上「原稿は事前にいただいていて、絵も資料の形で見せていただいていました。原稿は家で一度読みましたが、普段のように役作りするわけではないですしね(笑)。
音声ガイドは初めてですが、ナレーションの仕事はわりとしているので、こういうことが全く初めてではなかったんです。ただ名前に苦労しましたね。画家の名や地名が、たいていややこしい。まずビュールレが(笑)ちょっと難易度高めで、ドラクロワも、文章の中で「ドラクロワは」と「ワは」となるときが最難関でした(笑)。あと、マネなのかモネなのかとか(笑)。でも基本的には順調に進んだんじゃないかと思います。今ちょうど、ミュージカルではなく「黒蜥蜴」というストレートプレイの舞台をやっていまして(取材時)。三島由紀夫の難しい日本語をいかに噛まずに、というのをテーマに生きているので、口がだいぶ仕上がってきているんですね。この時期にナレーションさせてもらえて、ちょうど良かったなって気がしています(笑)。」
――音声ガイドということで特に意識したことは何かありますか?
井上「正直、どれぐらい自分の個性を出したらいいかはよくわからなくて。」
――ちなみに、井上さんご自身の“プリンス”のイメージや格調といったものが本展とマッチするというのが人選理由のようですが。
井上「そういう意識は特に(笑)。やはり絵画が主役なので、僕が読んでいるということはむしろ気にならない方がいいことだと思うんです。という意味では役割に徹して、プロのアナウンサーのように読めたらと思っては読みました。
ただ、俳優の僕がやるのでそうしてくださったのかはわからないんですけど、ときどきその画家が言った言葉が台詞のように挟み込まれているので、そこはお芝居するような感じで読ませてもらいました。年齢だとか、その画家がどんな声を出していたかっていうのは、完全に僕の想像でしかありませんが(笑)。」
――これはぜひ生で観てみたいという一枚は?
井上「モネの《ジヴェルニーのモネの庭》ですかね。すごく色彩鮮やかな点描画で、「これを実際目の当たりにしたときにどういう風に見えるんだろう。これはなんか観てみたいな」と、直感で思いました。点で描かれているということは、写実のように本当に近いものとして描かれてはいないものだけれど、もしかしたら本物より本物に感じることもあるんじゃないかなって気がするんですよね。」
――「あまり詳しくない」とおっしゃっていましたが、普段、美術展に足を運ぶことはありますか?
井上「海外に行くと、そこの一番有名な美術館には足を運ぶので、外国の主要な美術館はだいたい行ったことがあるんです。でも興味があるからというよりは、観光に近い感覚ではあります。日本では、正直なかなか行かないんですよね。僕、上野の大学(東京藝術大学)に6年間通っていたんですけど、名だたる美術館の前を毎日素通りして(笑)、6年で1回行っただろうかってぐらいなんですよ。でも外国に行くと、美術館ってやはり観光地のひとつとしてありますし、「なんか行ってみようかな」という気持ちになるんでしょうね。そして実際行くと、わからないなりに感じるところがあったり、その画家のことが好きになっちゃったり、広がっていくものが何かしらありますよね。
実際に行くと思うのは、やはり生の迫力。写真やカラーコピーだと消えているタッチがあるので、例えば油絵だと、「こんなに絵の具を塗っているんだな」とか。ピカソの“青の時代”の絵を実際に観たときもなんとも言えない青というか、「こんな青がこの世の中にあるんだ」と思った覚えがありますし。あと、大きさですよね。絵の不思議なところは、実物を観ないと実際の大きさが全くわからないところ。「これってこんなに大きかったんだ!」と驚くものや、「どうしてこんなに大きくしたんだろう」と不思議に感じるものもありますけど、それぞれにその理由がきっとあるんでしょう。
質感や大きさ含めて、絵はやっぱり生で観ないとわからないですよね。生に勝るものはない。そこは、舞台と同じだと思います。今だったら写真含めて精巧な複製がたくさんあるのに、それでも人々が生を観たいと思うのには、同じようでいて大きな差があるんだろうと。だからこそこの「ビュールレ・コレクション」も、こうやって世界中を回っているんですよね。」
――ご自身の、美術展での鑑賞スタイルは?
井上「あんまり時間を掛ける方ではないですね。人がたくさんいるところはあきらめる、とか(笑)。有名な作品は観ておこうとは思うんですけど、全部を観ようとはあまり思わなくて。作品に詳しいわけではないので、惹かれるものがあったらという感じです。あと、美術館自体が美術品みたいなところがあるので、それも見ものというか。その建物が美術館になった経緯だとか、「ビュールレ・コレクション」であればビュールレという実業家がなぜここまで集めたのかとか、そういうドラマにもすごく興味があります。作品自体に詳しくない分、全体で楽しむという感じでしょうか。」
――音声ガイドは借りる派ですか?
井上「借りたり借りなかったり。日本語のガイドがない海外の美術館も結構あるんですが、日本語があればだいたい借りるでしょうか。先日印象的だったのが、息子とイタリア(フィレンツェ)のウフィツィ美術館に行ったとき、息子は普段絵とか観ないんですけど、音声ガイドをつけた途端、すごく一生懸命観だしたんですよ。将来、画家になるんじゃないかってぐらいの勢いで(笑)。実際に本物を目にしているときにそれにまつわる情報が入ってくると、そこで生まれる特別な集中力や化学反応があるんだなと感じました。だから音声ガイドというのは、重要な要素のひとつなんじゃないかなと。……以前は、こんなにどこにでも音声ガイドってなかったですよね?」
――数自体もだと思いますが、俳優が担当するというケースが特に最近増えましたよね。先ほどの“格調”というイメージが関わってくるのか、ミュージカル俳優が起用されることが多い印象もあります。
井上「僕らにとっても美術展の音声ガイドをやるっていうのはすごく印象がいいというか、悪いところは何もないですからありがたいことです(笑)。今日読んでいて少し思ったのは、解説としてのナレーションではあるんですが、台詞があったりして少しその世界に入り込んだ方が、鑑賞する側も観やすいんじゃないのかなと。もちろん全部がお芝居仕立てだとトゥーマッチだと思うんですけど、その絵を描いた人が一瞬しゃべりだしたのかというぐらいの錯覚、マジックがあった方がいいのかもしれません。舞台も同じなんですが、美術もいかにその世界に入り込むかというのが楽しさ、面白みでもあると思うので、僕ら舞台俳優がやることによってもしその手助けがしやすくなるのだったら、それはすごくうれしいことだと感じますね。」
取材・文/武田吏都
【プロフィール】
井上芳雄(イノウエヨシオ)
東京藝術大学在学中の2000年に、ミュージカル「エリザベート」の皇太子ルドルフ役で鮮烈なデビューを果たす。高い歌唱力と存在感で数々の舞台で人気を博し、“ミュージカル界のプリンス”として活躍。一方でCD制作、コンサートの音楽活動も意欲的に行い、近年では大河ドラマ「おんな城主 直虎」の出演等、テレビ・映画にも活躍の幅を広げ、俳優として高い評価を得ている。